兄はずっと憧れで、自分の目標でした。兄が医学部に入って医者になると言うので、自分も追いかけるように医学部に入りました。

大学2年生のとき、バイトで塾講師をはじめます。そこで、教えている子どもたちの成績が上がっていくのを見て、楽しさややりがいを感じました。僕は人に何かを教えることで、その人が花咲く瞬間を見ることがとても好きなんだと初めて気付いたんです。

そこから、教育に関する活動の領域を広げることに。大学の先輩と一緒に、学生が学生に勉強を教える場を企画し、心肺蘇生のワークショップなどを行っていました。やり続けていたらいつの間にか医学生の大多数が自分の教え子になり、一時期は200人近い団体にもなりました。いいなと思うことを愚直にやり続けていれば、影響の輪って広がるんだとわかったんです。

人に教えるために努力しました。努力はやった分だけ必ず反映されるし、感謝される。そこに人を教えるという凄さや醍醐味がありました。その経験から、「自分は自分らしくていい」と思えるようになったんです。山田洋太は山田洋太、兄は兄。僕自身のことを考えるとき、決して兄っていう基準があるわけじゃない。兄へのコンプレックスがなくなり、自分のアイデンティティが確立しました。

医学部を卒業するとき、後輩が桜の枝をプレゼントしてくれました。理由を聞くと、「洋太さんはこの桜の蕾が開くみたいに、人を開花させるのが一番似合ってる。だから、これからもそういうところで活躍してほしい」と言われたのです。

「人には必ず生まれ持ったギフトがある」というのが、僕のモットーなんです。後輩の言葉を聞いて、人の才能を開花させることが自分が持って生まれた「ギフト」なんだとやっと気が付きました。そして、自分のギフトを世の中に還元していこうと思うようになりました。