苦しい時を支えてくれた社員さんへの感謝。社員全員で作ったビジョンの実現を目指す。

【ときまたぎホールディングス株式会社提供】「人にも自然にもよく、ずっと続いて発展していく社会」の実現を目指すグループ会社ときまたぎホールディングスを創設した土井さん。電気工事、コミュニティづくり、地域ブランディングなど幅広い事業に携わっている背景とは。お話を伺いました。

土井新悟

どい しんご|ときまたぎホールディングス株式会社代表取締役
効率的な自然エネルギーの循環モデルの開発・普及や自然と人とが共生したコミュニティの開発など様々な事業を行うときまたぎホールディングス株式会社の代表取締役。多くのグループ会社を抱え、事業領域は農業からWEBデザインまで多岐にわたる。

父から技術を学べないことへの焦り


大阪府東大阪市で生まれました。小さい頃から活発な性格で、友達は多かったですね。

実家は町の電気屋さんで、父が1人で営んでいました。父は集金が下手で、今お金が無いというお客さんには無期限で待っていたりしたので、家計は苦しかったですね。小さな時から店が遊び場のようだったこともあり、必然的に手伝うようになっていきました。

小学3年生の頃からお店の仕事を手伝うようになって、お店のチラシを配ったり、家電の設置を手伝ったりしました。学校が終わってからの時間も、休みの日も、働きました。そうすることで、家族が少しでも豊かに生活できるようになればと思っていました。また、たまにご褒美で、父がファミリーレストランで美味しいものを食べさせてくれるのが嬉しくて、手伝いを頑張っていました。

仕事を手伝ううちにだんだんと、お客さんのためになることであれば一生懸命になれる父に憧れるようになりました。例えば、新しい冷蔵庫や洗濯機を設置するため古いものを動かした際出てきた汚れについて。僕は「汚いな」と思って触ることができませんでしたが、父はそれを、汗をかきながら徹底的に拭いていたんです。汚れを拭いたからといって追加料金がもらえるわけではありません。それでもお客さんのためであれば、利益にならないことでもひたむきに取り組む父に、プロ意識を感じて尊敬しました。

小学5年の頃には、父と展示会での売り上げや利益について、「今日なんぼ儲かった?」とか「経費はどれくらいかかった?」などと話すようになりました。自然と、将来は父の仕事を継いで、事業を拡大したいと思っていました。

毎日手伝いに没頭していたこともあって、勉強は全くしていませんでした。学力が低く、中学でのテストは5教科合わせて100点に満たない程でしたが、特に不安はありませんでした。

中2の夏、これからの進路について考えるため、父の事業を継いで拡大することをゴールとして、自分の年表を作ってみました。具体的には、高校を卒業してから何歳まで修行して、何歳までには家に戻って父のそばで技術を学び、何歳までには事業を引き継ぐといった内容。また、それぞれの段階で父親が何歳なのかも考えました。

その結果出来上がった年表を見て、父の電気屋を継いで事業を拡大していく為には、高校でもしっかり学力と技術の基礎を身につけなければ、父が現役バリバリな状態で技術を教えてもらうことができないことがわかったんです。焦りましたね。

そこで、今の時点でちゃんと勉強して技術について学べる高校に行かないと間に合わないと考え、猛勉強を始めました。親にお願いをして塾に通わせてもらい、小学校4年の頃の勉強から遡って学び直し。日が昇る前から起きて勉強し、学校に行って授業を受け、放課後は塾。帰ってきてからも夜中まで勉強という生活を毎日繰り返しました。

その甲斐あって、高校は大阪府で一番偏差値の高かった工業高校に進学できました。高校に入った頃には父の電気屋は事業を縮小した関係で手伝う必要がなくなって、部活に入って野球を頑張りました。

卒業が近づくと、どの会社で修行するのか真剣に悩みました。父の会社と同じような電気屋さんに就職しようかとも思いましたが、ちょうどその頃街に大きな家電量販店ができて、これからは町の電気屋さんの商売はしんどくなっていくだろうなと考え、何か違う技術を学ばなければと思うようになりました。

そこで、電気工事の会社に行くことに決めました。人口が増えている今、建物も増え、きっと電気工事の需要も高まるだろうと考えたからです。ただ、修行としての就職だと考えていたので、3年で一人前になって退社するつもりでした。そんな条件を伝えたにも関わらず、とある電気工事の会社から内定をもらうことができました。

苦しいときを支えてくれた社員さん


業務は営業から仕様の取り決め、施工管理までと多岐に渡りました。朝6時から夜中までみっちり働き、1年目で役所の仕事に携わらせていただき、基礎を学ばせていただきました。3年で一人前にならなければという焦りが強く、結果を出すことに必死でしたね。

2年目からは、社長直々の大口のお客様を担当させてもらえるようになり、信頼されていることを感じました。会社の主たる売り上げに貢献できていたことに誇りを持ちながら働いていましたが、人生の目的を果たすため、入社前に決めていた通り3年と少しで退職。ただ、家電量販店の出店ラッシュの中、このまま父の会社を継いでも事業の拡大は難しいだろうと考え、電気工事の会社を自分で立ち上げることに。

最初は全く仕事がなかったですが半年ほど経った頃、前の会社で担当したお客様からのご依頼で、勤めていた会社より仕事をいただく形で、少しずつ仕事が入るようになりました。

そんな中、クライアントの一人である商用ビルのオーナーの方に懇意にしてもらい、現場に同行させてもらえるようになりました。そこでビルの運営やメンテナンスのあり方を間近で見て、電気工事以外の知識について学べました。

その結果、お客様から電気工事以外の仕事について相談された時に、自社で対応が難しくても信頼できる企業を探し出し、紹介できるようになりました。そうやって少しづつ関わる事業領域は増えていきました。

しかし事業は順調とは言えず、資金繰りに苦労していました。会社は傾きかけていて、7年近くしんどい時期が続きました。それでも社員さんは文句も言わずに働いてくれて、自分のことを心底信頼してもらえているようで、嬉しかったですね。そして、本当に苦しい時に助けてくれるのは、一緒に働いてくれている仲間だとわかり、彼らへの信頼度が高まりました。

社員さんのみんなが頑張ってくれたおかげで、だんだん売り上げが上がるようになり、会社を立て直すことができました。一番苦しい時に支えてくれた社員さんに対して、感謝の気持ちでいっぱいで、これからはお客さんのためだけでなく、社員さんのために動こうと思うようになりました。

社員全員で作り上げた会社のビジョン


売り上げがあがり増えた利益は、社員さんにとって働きやすい環境になるよう、福利厚生を手厚くすることに使いました。社員さんも会社のために頑張ってくれて、さらに売り上げが上がりました。

しかし、順調に売り上げを伸ばす中、会社を拡大していくことに意義を感じなくなったんです。自分だけが儲けたいという気持ちがなかったため、なんのために事業を大きくしているのかわからなくなったのです。

そこで、社員さんのみんながやりたいことを実現できる会社づくりをしたいと思い、社員さんを呼んで、会社がどこを目指すのか、一緒にビジョンを考えてもらいたいとお願いをしました。皆、快く応じてくれて、毎週集まって話し合いをすることになりました。週に2日、業務終了後に20名ほどで、会社が目指す将来像について意見交換することに。

まず、もともと私がなんとなくやりたいなと考えていた3つのことについて説明しました。まず1つ目は、会社の事業が電気だったので、電気の大元であるエネルギー分野に携わりたいということ。2つ目は、自然を大切にしたいということ。そして3つ目は苦しい時に社員さんに助けてもらった経験から人を大事にしたいということ。

それらの軸をもとにして何十時間も話し合ったのですが、ぴんと来る答えが出ないまま、議論が行き詰まってしまいました。そこで、新しい切り口で考えるため、100年後、200年後にどんな未来にしていきたいのかをスタート地点にして考え直すことに。すると行き詰まっていた議論が再び活発に行われるようになりました。

結局、1年ほど理想の未来について話し合う中でたどり着いたのが、「人にも自然にもよく、ずっと続いて発展していく社会」でした。その未来像と会社の事業を掛け合わせて、「人と自然とエネルギーが調和する未来」を創造するという会社のビジョンを完成させました。

その頃、お客さんから電気工事やメンテナンス以外の仕事も相談されるようになっていました。お客さんからの要求は、電気、通信、不動産など様々。そこで、それらのニーズに応えるため、パートナー企業と提携したり新しい会社を起こしたりして、事業を拡大していきました。

200年後も存在するコミュニティ


ビジョンが明確になって、そのビジョンの中から、新しいビジネスモデルのアイデアが出るようになりました。それを元に新しい会社を作ったりしました。例えば、22歳の社員さんのアイデアで、コワーキングスペースの運営や企業や地域のブランディングを行う会社を立ち上げたり。

また自社のビジョンを実現するため、人にも自然にもよい新しいコミュニティのあり方を全国に広げていきたいと考えました。

その最初のコミュニティづくりをする場所として、選んだのは和歌山県古座川町でした。和歌山には祖母が住んでいて、個人的に馴染みがありました。そこで理想のコミュニティの実現のため株式会社あがらとを立ち上げました。

あがらとでは、元々地元にあったお米や固定種の野菜、バラなどを農薬や化学肥料を一斉使わず、竹で農業用ハウスを建て栽培しています。

ゆくゆくは、今和歌山で作っているコミュニティのあり方をモデルにして、全国にも遠い未来まで続くようなコミュニティモデルを展開させていきたいと思っています。その際は、その土地のやり方や考え方をコミュニティに取り入れたいと思っています。そもそもその特色を活かした自然な設計をしないと永続的に続かないと思うからです。

あがらとが動き出して、他にも新しい会社が立ち上がる中で、このまま会社を増やしていくのか、それともグループ会社化するのか迷い始めました。悩みながら、長期視点を持ってビジョンの実現を考えた結果、業種を網羅してたくさんの会社があったほうが、ビジョン達成のためにも経営戦略としてもいいと判断。それぞれの会社がそれぞれの役割を果たせるように、ホールディングス化という経営手段をとることに決めました。

やりたいことを実現させるグループ


現在は、ときまたぎホールディングス株式会社の代表として、効率的なエネルギーの循環と新たな価値観「文化的融合」を生み出すことを主軸に動いています。

効率的なエネルギーについては、水力発電の弱点、風力発電の弱点を補い合った新しい発電法で、設置費用も安価で済むものを開発中です。完成した後はこの新しい自然エネルギーを世界に広めていきたいと考えています。

さらに文化的融合の実現にも力をいれて活動しています。文化的融合とは、国籍も業種も違う人たち同士が、お互いの異なった価値観を融合してより良いものを作り出すことです。

文化的融合によって生まれた商品の代表作が、デスク用の椅子にハンモックをしつらえた「コクーンチェア」。デスクの椅子にハンモックをつけるという、今までにない椅子で、コンセプトに共感してくれた外部の椅子メーカーと一緒に開発しています。

椅子メーカーは、高級感のある椅子を作れることが強みで、実際に作った商品は迎賓館でも使われています。そんなメーカーに対して、我が社は、使い心地だけではなく素材や工程が環境に優しいものであることにもこだわった、人にも環境にも優しいというコンセプトの椅子を作れないかと協力を依頼しました。

メーカーさんにとっては初めての取り組みでしたが、コンセプトに共感してもらうことでチャレンジしてもらえることができ。その結果、これまで世の中になかった新しい椅子を開発しています。

そうやって、パートナーの価値観を受け入れつつ新しいものを作っていくことが文化的融合であり、新たな価値を生み出すことができるあり方だと思っています。自社のサービスや取り組みを通してこの考え方を多くの人に伝えていくことで、文化的融合が当たり前である世の中を作っていきたいと思っています。

さらに今後は、ホールディングスが掲げる理念のもとあらゆる分野で会社を立ち上げ、それぞれの会社の売り上げ規模を10億円以上にしたいと考えています。10億円というのは、それだけたくさんの方に喜んでいただいた対価だと思っていて、世間に認められた会社があらゆる分野にあれば、社員さんと一緒に作り上げたビジョンは達成できると思っています。

そのための僕の役割は、社員さんや仲間のやりたいことを実現させることだと思っています。皆のやりたいことを事業化し、収益が上がるようになるまでサポートするのが僕の仕事ですので、やりたいことをビジネスで実現させる考え方を伝えていきたいですね。また、そのためには現場に出続けることにもこだわっていきたいです。創業の過程や事業の発展を共にすることで多くの学びや体感を共有できればいいなと思います。

2019.01.16

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