大阪府東大阪市で生まれました。小さい頃から活発な性格で、友達は多かったですね。

実家は町の電気屋さんで、父が1人で営んでいました。父は集金が下手で、今お金が無いというお客さんには無期限で待っていたりしたので、家計は苦しかったですね。小さな時から店が遊び場のようだったこともあり、必然的に手伝うようになっていきました。

小学3年生の頃からお店の仕事を手伝うようになって、お店のチラシを配ったり、家電の設置を手伝ったりしました。学校が終わってからの時間も、休みの日も、働きました。そうすることで、家族が少しでも豊かに生活できるようになればと思っていました。また、たまにご褒美で、父がファミリーレストランで美味しいものを食べさせてくれるのが嬉しくて、手伝いを頑張っていました。

仕事を手伝ううちにだんだんと、お客さんのためになることであれば一生懸命になれる父に憧れるようになりました。例えば、新しい冷蔵庫や洗濯機を設置するため古いものを動かした際出てきた汚れについて。僕は「汚いな」と思って触ることができませんでしたが、父はそれを、汗をかきながら徹底的に拭いていたんです。汚れを拭いたからといって追加料金がもらえるわけではありません。それでもお客さんのためであれば、利益にならないことでもひたむきに取り組む父に、プロ意識を感じて尊敬しました。

小学5年の頃には、父と展示会での売り上げや利益について、「今日なんぼ儲かった?」とか「経費はどれくらいかかった?」などと話すようになりました。自然と、将来は父の仕事を継いで、事業を拡大したいと思っていました。

毎日手伝いに没頭していたこともあって、勉強は全くしていませんでした。学力が低く、中学でのテストは5教科合わせて100点に満たない程でしたが、特に不安はありませんでした。

中2の夏、これからの進路について考えるため、父の事業を継いで拡大することをゴールとして、自分の年表を作ってみました。具体的には、高校を卒業してから何歳まで修行して、何歳までには家に戻って父のそばで技術を学び、何歳までには事業を引き継ぐといった内容。また、それぞれの段階で父親が何歳なのかも考えました。

その結果出来上がった年表を見て、父の電気屋を継いで事業を拡大していく為には、高校でもしっかり学力と技術の基礎を身につけなければ、父が現役バリバリな状態で技術を教えてもらうことができないことがわかったんです。焦りましたね。

そこで、今の時点でちゃんと勉強して技術について学べる高校に行かないと間に合わないと考え、猛勉強を始めました。親にお願いをして塾に通わせてもらい、小学校4年の頃の勉強から遡って学び直し。日が昇る前から起きて勉強し、学校に行って授業を受け、放課後は塾。帰ってきてからも夜中まで勉強という生活を毎日繰り返しました。

その甲斐あって、高校は大阪府で一番偏差値の高かった工業高校に進学できました。高校に入った頃には父の電気屋は事業を縮小した関係で手伝う必要がなくなって、部活に入って野球を頑張りました。

卒業が近づくと、どの会社で修行するのか真剣に悩みました。父の会社と同じような電気屋さんに就職しようかとも思いましたが、ちょうどその頃街に大きな家電量販店ができて、これからは町の電気屋さんの商売はしんどくなっていくだろうなと考え、何か違う技術を学ばなければと思うようになりました。

そこで、電気工事の会社に行くことに決めました。人口が増えている今、建物も増え、きっと電気工事の需要も高まるだろうと考えたからです。ただ、修行としての就職だと考えていたので、3年で一人前になって退社するつもりでした。そんな条件を伝えたにも関わらず、とある電気工事の会社から内定をもらうことができました。