斜陽産業の三代目として生まれた宿命。銭湯の価値を再定義し、新たな文化を創出したい。

80年以上の歴史を持つ銭湯の三代目として生まれた平松さん。銭湯が減る中で、周囲からは「大変だね」と言われ続けてきました。跡を継ぐことへの葛藤を乗り越え、社会に出て起業を経験。現在は三代目として、時代に合った銭湯の価値を定義し直すことで、新たな銭湯文化を創ることに挑戦している平松さんに話を伺いました。

平松 佑介

ひらまつ ゆうすけ|小杉湯三代目
東京都杉並区高円寺にある銭湯・小杉湯の三代目として、銭湯の価値を再定義し新たな文化とするために活動中。

銭湯が遊び場だった幼少期


東京都杉並区の高円寺で生まれ育ちました。男3人兄弟の長男で、実家は昭和8年創業の小杉湯という銭湯を経営しています。自宅と銭湯が繋がっていて、家庭と仕事が混在している環境です。家に帰れば、いつも両親がいました。

小さい頃から遊び場が銭湯だったので、銭湯は楽しい場所でした。遊び相手はお客さんです。様々な世代の人たちに遊んでもらっていました。常連のお客さんからは「三代目」とか「次はお前だぞ」とか、半ば洗脳教育のように言われて育ちました(笑)

お客さんたちと触れ合う中では、地域の人が小杉湯を愛してくれていると感じていました。両親はいつも楽しそうに仕事をしていたので、両親の小杉湯にかける愛情も感じていました。

小学校に上がると、家が銭湯を経営しているのは自分だけでした。銭湯はすでに斜陽産業だったので、友達に家が銭湯だと話すと必ず「大変だね」と言われるんです。それとセットで言われるのは「銭湯を潰してマンション建てたら、一生遊んで暮らせるね」という言葉です。

両親は銭湯の仕事をすごく楽しそうにやっていてお客さんもたくさんいるのに、周りはそれを斜陽産業と見ていて大変だと言う。そこにずっと悔しさを感じていました。

中学に入ってからは、勉強が好きだったので学習塾に通っていました。高校受験では、どうせ受験するなら大学受験をしなくていい学校が良いと思ったので、大学付属の高校を選びました。

家業という宿命への葛藤


高校生になってからは将来のことを考える時、いずれ実家の銭湯を継ぐことは自分の中で前提となっていました。親から直接「跡を継いでほしい」と言われたことはないので、それまでちゃんと考えたことはなかったのですが、次第に自分の将来として考えるようになりました。

しかし、自分の決まっている将来に対して、周囲から「大変だね」と言われ続けることで、「何で自分は将来が決まっているんだよ」と銭湯を継ぐことに対してネガティブになっていました。

大学に進学してからは、色々な勉強をしていく中で視野が広がっていきました。卒業の後の進路を考える時期には、将来は銭湯を継ぐ道でいこうと自然と思えていました。ただ、両親はまだまだ元気だったので、一度社会に出ようと思い就職の道を選びました。両親を見ていてどこか視野が狭い、社会が狭いと感じる部分があったので、自分は社会を見て、視野を広げようと思ったんです。

就職活動にあたっては、漠然と30歳くらいで銭湯を継ぐことを前提に考えていました。終身雇用という価値観が残っていた時代なので周囲は大手企業を希望していましたが、自分は社会に出て過ごす時間は少ないと思っていたので、20代のうちに出来るだけ成長できる仕事という軸で考えました。

文系だった自分が出来る職種として営業職を選び、大きい物を売る方がより成長できると考えたので、住宅メーカーに就職しました。スウェーデンの輸入住宅を販売している会社です。日本の住宅市場のサイクルが20年、30年と短い中で、スウェーデンでは100年住み継いでいく住宅が基本なので、良い物を長く使うという価値観が自分に合っているなと思いました。

仕事をやる上では、自分が成長したいという思いもありましたが、銭湯で育った影響なのか、出会った人を大切にしたいとか出会った人のために価値を提供したいという思いがすごく強かったですね。

すぐにでも家を建てようとしているお客さんに対してアプローチする人が多い中で、自分は3、4年後くらいに建てようと考えている人をターゲットにアプローチをしていました。その方がライバルが少ないというのもありますが、長い時間かけて関係性を築くことで、お客さんを好きになって、その人のために働く方が自分には向いていました。

自分の場合はいずれ銭湯を継ぐので、社会で実力を付けられる期間は6~7年と考え、かなり働きました。結果、営業力を身に付けることができたと思っています。まずは相手を知ることで相手のことを好きになる。そして相手が望んでいることをきちんと捉えて、その望みを叶えてあげる。その人のために行動できる力が身につきました。会社でトップの成績を残すこともできて、成功体験として自信になりました。

夢実現のために起業の道へ


働いているうちに30歳が近づいてきて、家業を継ぐ選択をする時が現実に迫ってきました。その時に、もっと社会で挑戦をしたいと思ったんです。とはいえ、家業を継ぐ予定の30歳を雇ってくれる会社はないと思ったので転職活動も気が進まず、悩んだ結果、期限を決めてまずは辞めようと考え、思い切って退職しました。8年間も働いてきて成果も出せる仕事を30歳で辞めるというのは、とても大きな決断でした。辞めてから2カ月間は、色々と模索していました。今の自分が何にチャレンジできるのか知るために、様々な人に会いに行ったり、セミナーや研修などを受けたりしました。

ある経営者向けの研修に参加していた時、すごく魅力的な人に出会いました。彼は研修を運営する会社の社員で、私の担当になった人でした。一緒にキャリアなどについて話すと非常に楽しかったですし、すごく尊敬できる人だと思いました。その人が退職して人事、採用分野で起業するというので、彼と一緒に働いてみたいと思い、創業メンバーの一人として参加。退職から2カ月後に、3人で会社を立ち上げました。

いずれ銭湯を継ぐ時には銭湯を利用して大きなことにチャレンジしたいと思っていたので、起業という経験をすることで、その夢がより実現できると考えました。

起業経験を通して考え方やスキル、人脈を得たこともそうですが、一番は覚悟や信念など精神的な部分でかなり成長できたと思います。

銭湯を継ぐ決心、三代目となる


起業した会社では5年間働きました。そこから銭湯を継ぐきっかけとなったのは、3歳になった長女の一言でした。休日、家族でフェスに遊びに行った時、肩車をして歩いていると長女が突然「お父さん、お仕事行かないでね」と言ったんです。楽しく遊んでいた時だったのでびっくりしたのと同時に、そう思っていたことが衝撃でした。

思えば自分が小さい頃、父は家に帰ればいる人で、スーツを着て帰ってくるイメージはありませんでした。自分が外で働きながら子育てをしている中で、子どもに対して「ただいまじゃなくておかえりと言ってあげたい」という気持ちはずっと抱えていました。

結局、娘の一言がきっかけで「もう辞めよう」と腹を決め、それから1年ほどして実家の銭湯で働き始めました。ちょうど2016年10月10日、銭湯の日です。偶然ですが、実は長女の誕生日も10月10日なんです。

これまで働く中で、銭湯を継ぐ時には、ただ継ぐだけでは勿体ないので大きなムーブメントを起こそうという思いを持っていました。そこで、働き始めてからすぐに「銭湯ぐらし」プロジェクトを始めました。銭湯の敷地にある風呂なしアパートに、色々な人に住んでもらい銭湯のある暮らしを体験してもらう内容です。アパートは取り壊して半分は自宅、半分は銭湯の新しい施設を建てようと計画を考えていた物件です。住人の退居期限が2年間あったのですが予定より早く進み、一年間空き家状態になりました。そのままにしておくのはもったいないと思いこの企画を考えたのです。

新しい施設の建築に携わってもらう人たちにも実際に住んでもらい、銭湯のある暮らしを体験してもらうことができました。

銭湯暮らしをやって得たものは、大きく2つありました。一つは、優秀で多様な仲間たちです。プロジェクトを通して、本当に色々な人たちが集まってきてくれました。その人たちと一緒に同じ時間を過ごし、プロジェクトをやれたことは自分にとって大きな経験になりました。自分一人じゃできないこともコミュニティの力があれば実現できることを実感しましたね。

もう一つは、銭湯経営のビジョンが見つかったことです。プロジェクトは本来、クリエイターたちが小杉湯やアパートを使ってそれぞれのやりたいことを実現させようという、個人の目的ありきのものでした。メンバーは1〜2週間に1回ミーティングをやって、1年間かけて様々な制作物や企画が形にしていきました。その中で僕は、彼らから大切なことを学んだのです。それは、銭湯が心と体を整え、自分を見つめ直す場所になるということでした。

暮らしの中に銭湯があることで、自分のやりたいことを見つけられたり、制作物の質が上がったりと、プラスの作用が生まれることがわかったんです。日常的に銭湯に来てもらうことで、メンバーのようにやりたいことをやって良い時間を過ごせる人を増やしたい。そんな思いから、「銭湯のある暮らしをつくる」ことをビジョンにしようと決めました。

時代に合った銭湯の再定義を


現在は、小杉湯の三代目として父と共に実家の銭湯を経営しています。

継いでいくにあたっては、もちろん使命感もありますし、自分のキャリアとしてもプラスだと捉えています。三代目として生まれたことを自分の人生の命題として捉え、その命題に利用されるのではなく、命題を利用しようと考えています。つまり、これまで経験してきた営業職や人事系スタートアップの起業経験に、家業の銭湯経営というキャリアを掛け合わせることで、色々なことができる市場価値の高い人材になれると考えています。

家業を継ぐということは、1代目、2代目から受け継がれてきた想いを、4代目、5代目に継承するということです。そのためには、この場所がしっかり続いていくように、銭湯経営を徹底的に突き詰める必要があります。銭湯経営を突き詰めるということは、徹底的に綺麗で清潔感のある銭湯を作ることだと思っています。そうしないと人は集まりません。

銭湯は、多世代のいろいろな人たちが集まる場所です。銭湯経営を突き詰めることで人がより集まり、銭湯がすでに持つコミュニティ力や多様性が強まると思っています。そのコミュニティ力や多様性を活かして、これからの組織のあり方、働き方、少子高齢化問題など、様々な分野においてできることがあると思っているので、今後取り組んでいきたいです。

銭湯を通して何かをしたいと考えた時に、まずは現代における銭湯の価値を再定義する必要があると考えています。銭湯の価値は、家庭に風呂がなかった時代の公衆浴場というハード面から、リラックスをしたり心を整えたりというソフト面にシフトしています。

銭湯の価値を再定義し、現代のライフスタイルの中に根付かせていくことで、銭湯の新たな文化を創り出し、斜陽産業と言われる銭湯を継承していけると考えています。

現在、新たな銭湯文化を創っていく取り組みとして、銭湯の浴室で音楽ライブやダンスイベントを開催しています。「銭湯✕芸術」といったこれまでにない新たな取り組みをすることで、銭湯という場の価値を活かし、社会に新たな価値を生み出すことができると感じています。そのほか、企業と生活者をつなぐ場として銭湯を活用した企業プロモーションなども行っています。

これから建設予定の新施設は、高円寺に住む人も、外から来る人も集まれるようなサードプレイスにしたいと考えています。銭湯ぐらしのメンバーが感じた銭湯の良さである「寛容さ」や「リフレッシュできる」「日常を豊かにする」という点を再現して、多世代の多様な人が居心地の良さを感じられる場所にしたいですね。コインランドリーやカフェを設置するほか、民泊も行うつもり。2019年の10月に完成予定です。

ただでさえ斜陽産業と言われる銭湯です。立ち止まっている暇はありません。これからも挑戦し続けていきます。

2019.01.07

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