未来の子どもたちの食文化を守るため。日本の漁業を持続可能なものに。

持続可能な漁業をつくるため、情報発信やネットワークの形成などを行う東京海洋大学准教授の勝川さん。ネルソン・マンデラさんとの出会いと子どもの誕生をきっかけに、日本の漁業の改革に本気で取り組むようになったといいます。なぜ漁業の未来に警鐘を鳴らし続けるのか、お話を伺いました。

勝川 俊雄

かつかわ としお|東京海洋大学准教授
東京海洋大学准教授。東京大学農学部水産学科、同大学院農学生命科学研究科を経て、1998年東京大学海洋研究所助手に。日本の漁業における資源管理の必要性を訴え続け、2013年には一般社団法人海の幸を未来に残す会を立ち上げ理事に就任。2015年から現職。

勝負できるフィールドを見つける


東京都杉並区の荻窪で生まれて、3歳のときに神奈川県横須賀市に引っ越しました。父が情報サービスを提供する大手企業の技術者だったので、家にはパソコンや黒電話をネットワークに繋ぐ機械といった普通の家にはないような機器があって、小学生くらいからそういった機器で遊んでいました。父の影響もあって、コンピューター関係の仕事につくんだろうと漠然と思っていました。

その頃から、授業がつまらないと感じてあまり真面目に聞いていませんでした。それで内申が悪くて、私立の高校に行くことに。予備校みたいな高校で、クラスが成績順に分けられていました。高校の授業は中学のようにつまらなくなかったので真面目に聞いていたら、上の方のクラスに上がっていきました。上のクラスは偏差値重視で、授業で東大の受験対策をやってくれたので、そのまま東大を受験し、合格することができました。

工学系に進むつもりだったので、理系の学部を選べる理科1類に入りました。しかし、学ぶうちにソフトウェアをやっていくのがしんどそうだと感じるように。当時は違法コピーしたソフトをみんなが使っているような時代で、ソフトウェアはタダという感覚が強かったんです。そうやってどんどん複製されてしまうものって価値がゼロに近づいていくんじゃないかと思いました。すぐに複製が出てくる中で勝負するには常に最先端を追い続ける必要があり、続けていくのは厳しいだろうなと思ったんです。

ソフトウェアとは逆に、もの自体に価値があって常に人々が必要としているものはなんだろうと考えたら、それは食べ物だと思ったのです。食べ物は生きる上で欠かせないうえに、食べたらなくなるわけだから常に必要とされ続けると。そこで、2年の進学振り分けの時、大きく方向転換して農学部水産学科を選びました。

戦って勝てる環境を選ぶことが大事だと思っていたので、勝負するなら食べ物だなと考えました。中でも、農業は面積が小さい日本が不利なのに対して、漁業は広い良い漁場を持っているから有利だろうと思って水産を選んだんです。海での実習があって楽しそう、単位の取得が楽そうというのも選択理由でした。

それまであまり生き物のことを勉強してこなかったので、農学部に進んだらすべてが新鮮で楽しかったです。生き物がどうやってエネルギーを得るかなどのメカニズムがきれいに説明されていて、面白いな、こんな世界があったんだなって。

それでも、研究者になろうとは考えていませんでした。なんとなくサラリーマンになるんだろうなと思って、企業でインターンを始めることに。しかしやってみると、与えられた仕事をこなすことが苦痛で、やることを自分で決められないのがすごく嫌なんだと気がつきました。サラリーマンに向いていないと思いましたね。

そのため、大学ならまだ自由かなと思って進学することにしました。研究分野には資源解析を選びました。農学部は理系の中では数字に弱い人が多かったため、もともと工学部志望で数学的なことをずっとやってきた僕は、数字で勝負するところに行けば勝てるだろうと考えたんです。それで、漁獲データなどの限られた情報から、魚の資源量を推測してどうすればとりすぎのリスクを回避できるかなどを分析する、資源解析を選択しました。

ネルソン・マンデラとの出会い


修士を出て博士課程に進むときに、学術振興会の有給の特別研究員になり、10カ月間カナダに留学しました。帰ってきたときにちょうどポストが空いたので、助手になることができました。もう少し自由に研究していたい気持ちもありましたが、ありがたいことに仕事がもらえたのでやるしかないと思いましたね。

助手になってから、南アフリカで水産資源管理に関する国際シンポジウムに参加しました。滞在中のある日、僕が泊まっているホテルの駐車場に人だかりができていました。「ネルソン・マンデラが出てくるんだ」と言ってみんなが待っているんです。僕はマンデラさんのことはよく知りませんでしたが、一緒に待ってみました。10分ほどすると、本当にマンデラさんが出てきて、みんなに声をかけながら握手して回るんです。僕も、「日本から来ました」と声をかけたら、「南アフリカをよろしくね」みたいな感じで握手してもらいました。ただそれだけでしたが、彼に後光が差しているように見えて、「とんでもない人に会ってしまった」と感じたんです。それから彼の自伝を買って読んだら、こんなすごい人だったんだと驚きました。

マンデラさんに会ったことは、自分にとってはすごく大きな意味がありました。

その時の南アフリカは、マンデラさんの功績でアパルトヘイトが終わったにもかかわらず、人々の不満が高まっている状態でした。白人はこれまでの特権がなくなったことに対して、黒人は経済格差が相変わらずあることに対して、それぞれ不満を持っていたんです。状況はすぐには好転しませんでした。そんな中、マンデラさんが民衆の前に出て行くことは、命を狙われるかもしれない大きなリスクを伴っていました。

しかし、ホテルの駐車場は誰でも入れるのに、ボティーチェックは一切ありませんでした。危害を加えようと思えば、チャンスはいくらでもある状態。それなのにマンデラさんは、自分がリスクをとってノーガードで民衆の前に出て来ていたのです。それは本当にすごいことだと思いましたし、そうやって誰かがリスクを取らないと何も伝わらないし変わらないと気がつきました。

じゃあ自分にとって、マンデラさんにとってのアパルトヘイトのような、リスクを取ってでも取り組むべきテーマは何か。そう考えた時、日本の漁業を持続可能なものにすることじゃないかと思い至ったんです。

それは資源解析を研究する中で出てきた問題意識でした。

海の生産力は有限です。光合成をして栄養を蓄えたプランクトンを魚が食べ子どもを産む。そしてその子どもが成長し親になり、また子どもを産んでいく。そのサイクルで増えた分だけ魚を獲るなら、全体として魚は減りません。しかし、獲りすぎれば魚自体がいなくなる。大事なのは、十分な親を残すことなんです。

しかし、日本では漁師が競って魚を獲っており、国も漁獲量を増やすための支援をしてきました。魚が少なくなってきていても、より多く獲るために皆が頑張っている。親を残して卵を生ませなければ、資源を未来につなげていくことはできません。資源を未来につなげるために、漁獲規制の必要性を発信していこうと決めました。

漁業を変えるには世論を変える


それから、漁獲規制について業界誌などに書くようになったんですが、強い反発が返ってきました。そこでわかってきたのは、みんな現状に問題があることはわかっているけれど、変えられない仕組みがあるということです。減った魚を回復させるために漁獲量を減らすと、漁師の収入は減ってしまいます。「いまでも生活が厳しいのに、この上規制までされたらやっていけない」と思う漁業者の気持ちがわかります。そのため、漁業者からの猛反発が予期される漁獲規制に対して、国や自治体も後ろ向きでした。

それなら、すでに漁獲規制をやっている国はどうしたのか勉強しようと思い、ノルウェー、ニュージーランド、米国などを視察しました。すると、どこの国も最初は漁業者の大反対にあったけれど、国民の世論で規制が導入されることになったというんです。

そこで気づいたのは、これは食の問題だから漁業関係者以外の全ての国民に関わる話だということ。漁業の問題について、漁業関係者だけでなく国民全体に情報を伝え、関心を持ってもらうことが大事なんだと思いました。はじめに国民にわかってもらうことができれば、規制を入れることができるかもしれないとわかりました。

また、規制した結果、漁業が儲かる仕事になって多くの漁師が資源管理賛成に回ったということも知りました。規制を導入した漁業では、魚を奪い合う競争がなくなった代わりに、獲った魚の価値をどう高めるかに一丸となって取り組んだというのです。その結果、魚は高値で買ってもらえるようになった。つまり、獲る量を減らしても、マーケティングをうまくやれば漁業は以前より儲かるようになるということです。それができれば、日本でも漁業者が納得して応援してくれるようになるはずだと考えました。

この視察を通して、資源管理とマーケティングが、漁業が持続的に成長していく上で欠かせないものだということに気づいたのです。

ちょうどその頃、30歳になり子どもが生まれました。それまではある意味、研究の一環として漁業のことを考え続けてきたんですが、子どもを見て考え方が変わりました。このまま行けば、この子たちが大人になる頃には、まともな日本の魚はほとんど食べられないだろうと思ったんです。そう思ったとき、この状況を放置しておくのは、親としてすごい無責任だなと。子どもたちやまたその子どもたちが、まともなものを食べられるような世の中にしてくのが大人の務めだろうと考えて、持続可能な漁業の実現に本気で取り組もうと思いました。

漁師とお酒を飲まないとわからないこと


そこから、抱いた問題意識をもとに今度は実際に問題を解決しようと動き出しました。最初は何をやっていいか全然分かりませんでしたが、自分がこの問題を訴える相手は学界や業界団体ではなく、一般の人たちだと思っていました。だから、いろいろな発信手段を試してみて、手応えのあったものを残していったらネットに行き着いたんです。

ホームページを作って一般の人に向けた文章を書いたり、SNSを使ったりして情報発信を始めました。反応が返ってくるので手応えが感じられましたし、ホームページなどを見た業界誌の人から声をかけてもらって、書く機会をいただいたりもしました。

情報発信をしていると、現状を変えたいと考えている漁業関係者から声がかかるようになり、日本の漁業の現場にも入っていくようになりました。漁業の問題は現場に入らないとわからないことが多くあります。さらにいうと、現場に行って漁師と酒を飲まないとわからない部分がいっぱいあるんです。漁師の方々を前に「大学から来ました」と言って昼間に話を聞いても、よそ行きの話しか出てきません。でも一緒に酒飲みかわすと、距離が縮んでいろいろな話ができるんです。

そこで気づいたのが、持続可能な漁業をつくるためには、海の生態系だけでなく、漁師たちの生活や環境を持続可能なものにすることも重要だということでした。漁師って、腕一本で自然に向き合って生きていて、非常に素朴で自分の腕に対するプライドを強く持っている人たちです。その多くは海を、魚をすごく大事にしていて、親から子につながっていく自分たちの生活にも誇りを持っています。しかし、そういう人たちが「もうこのままだと自分の次の代はない」と言うんです。

それはなぜかといえば、漁業が儲からないからです。生活ができない状況で後を継ぐ人なんていない。今の日本の漁業の仕組みでは、代々続いてきた漁師の暮らしも持続させていくことができないのです。

漁業が持続可能であるためには、産業の土台である海の生態系が健全であることはもちろん大事ですが、同時にそこで働く人たちの生活や地域を持続可能なものにすることも大切。そのことに現場の人達と接して強く感じるようになりました。

生産と消費の現場をつなぎ合わせたい


現在は、東京海洋大学の准教授として、持続可能な漁業の実現に向けて取り組んでいます。研究教育にとどまらず、大学としての社会貢献を推進する立場として、漁業の現場に行ったり、文章や講演で情報発信をしたりして漁業の改革を推進しています。漁業が未来につながる生産的なものになってほしいというのが今の願いです。

まず取り組んでいるのが、生産者と消費者を繋げること。今、漁業は生産と消費の現場が分断されていて、生産者側、消費者側のどっちにとっても不幸な状態です。生産者は自分がやっている仕事の価値を感じられないし、消費者は魚に単なる食材以上の意味を感じ取れない。生産と消費の現場をきちんと繋ぎあわせることで、魚を食べることがすごく楽しくなるはずです。そして、この素晴らしい魚をとっている漁師をみんなで支えよう、という食文化ができるはず。だから、きちんと漁師が取ってきた魚の価値が伝わる仕組みを作っていきたいと思っています。

そのためには漁業の現場も変わる必要があります。獲ってきた魚を市場に並べて終わりではなく、消費者に魚の価値を伝える努力をしなければなりません。全国を回ると、意外と漁業を変えようという意欲を持った人たちがいるんですよ。でも、新しいことをやろうという人間は、それぞれの地域では孤立していることが多いので、そういう人たちをつないでネットワーク作りをしたいと考えています。

実際、いま生産者の中でも志ある人たちが「出る杭漁師の会」というのを作っているので、彼らと持続的なものを使いたいという意欲があるシェフと消費者とをうまくつないで、未来につながる魚の正しい食べ方を実現できたらすごくいいなと思っていて。そういう仕組みづくりをはじめています。

また、漁獲規制についても進展があります。10年以上情報発信をしてきたことで、政治家の中でも関心を持ってくれる人が増えてきました。今回、70年ぶりに漁業法の改正が議題になり、他国のようにちゃんとした漁獲規制をやろうということが国会でも議論されています。ゆっくりですが、変わってきているなという手ごたえはありますね。そういう意味では、地道にいろいろな人にこの問題を知ってもらおうと活動を続けてきたことはすごく大事だったなと思います。

今の日本の漁業の仕組みには、確かに非合理的な部分がありますが、良い部分もたくさんありますし、漁師さんたちはプライドを持ってやっています。漁師さんたちやこの活動に共感して損得抜きで動いてくれている多くの人達のためにも、漁業の良いところを残しながら、時代や環境の変化に対応した未来に繋がる仕組みづくりをしていきたいと思います。

2018.12.26

インタビュー・編集 | 粟村 千愛
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