自然に囲まれた岡山県津山市に生まれました。幼少期は、塀に落書きをして叱られたり、柿を勝手に取って怒られたり、いたずら好きのやんちゃなガキ大将でした。いたずらもたくさんしましたが、自分に素直な行動をする少年時代を過ごしました。

小学校5年生の時に、熱血先生に出会ったんです。いつもグランドで一緒に遊んでくれたり、自分が苦手だった水泳の個別練習で泳げるようになるまで猛特訓してくれたり、子供に向き合ってくれる素晴らしい先生でした。ちょうど流行っていた熱血先生のドラマの主人公に、先生の姿が重なりましたね。その先生が大好きで、教師という仕事に憧れるようになりました。

中学校に入学するタイミングで、岡山市内に引っ越しました。岡山市内の中学校は一学年10クラスあるマンモス校で人の多さに圧倒されましたが、すぐに新しい環境に馴染んでいきましたね。中学校は、バスケットボール部に入ります。弱小で試合に勝ったことのない部だったため、初心者でしたがキャプテンを任されることに。3年生でようやく初勝利をおさめることができたときは、部員だけでなく先輩たちも喜んでくれましたね。

中学3年生の夏休み、突然母が倒れました。ちょうどバスケの練習に行く時に「頭が痛い」と言っていて、帰宅したら病院に救急搬送されていました。脳の血管が切れたんです。医師からは死を覚悟するよう言われました。父だけが看病のために病院に残って、私と弟は自宅で待機しました。

自宅で待っている間は、気が気ではありません。テーブルの上にあった、母の作ったハムエッグが目に留まりました。私が「ハムエッグではなく、ハムとエッグを分けて欲しい」と何度伝えても、母はいつもハムエッグで出してくるんです。その日の朝もやっぱりハムエッグで、「いらん」と言って残してたんですね。「ああ、もう一生、母の手料理を食べられないかもしれない。素直に食べておけば良かった」と後悔の波が押し寄せました。じっと母の回復を待ちながら、テーブルのハムエッグを弟と2人で黙々と食べていました。ただ、父が必死に声をかけたおかげか、母は奇跡的に意識を取り戻したんです。

母の生活の世話が必要だったので、家族で祖母のいる津山市に帰ることになりました。私は津山市の高校へ進学。母はリハビリを続けて、だんだんと元気になりました。