本当に役立つサービスを継続させたい。医療のプラットフォーマーを目指して。

【きりんカルテシステム株式会社提供】医療に関わる複数の会社を経営する永用さん。小さい頃から引っ込み思案で、将来のことは考えずに過ごしてきたそう。そんな永用さんが、なぜシリアルアントレプレナーとして様々な業界で会社を立ち上げ続けてきたのか。そして「医療のプラットフォーマーを目指す」と語るその真意とは。お話をお伺いしました。

永用 万人

ながよう かずひこ|経営者
鹿児島大学卒業後、建設会社での勤務を経て株式会社WDI&JEMへ入社。店舗支配人や取締役を歴任。その後株式会社ボイスメールに入社し、営業職を経て取締役に就任。その後独立し、スペースリンク株式会社、しまうまプリントシステム株式会社、データCAPS株式会社を創業。現在はSDPジャパン代表取締役社長、きりんカルテシステム取締役会長、データ・リファイナリー株式会社代表取締役。

※この記事はきりんカルテシステム株式会社の提供でお送りしました。

おとなしい子が直面した死の恐怖


鹿児島県鹿児島市で生まれました。引っ込み思案で人見知りをする子どもでした。人付き合いも人並みにしていましたが、表面的にはみんなに合わせていても、協調するのは向いていないと感じていました。それよりも一人でいることが好きで、図書館で本を読んでいることが多かったですね。小学生の頃はほとんどの本を読破したんじゃないかと思うほど入り浸っていました。

中学生になったある日、親友と一緒に遊びで魚を捕りに行きました。穴場にいくため100メートルはある川を泳いで渡っていたところ、帰りに両足がつって溺れてしまったんです。日が暮れるまで魚を捕っていたので、もうあたりは夜で真っ暗でした。町の灯がぼーっと視界に入り、「人生これで終わりだ」。そう思いました。

その直後、親友がボートで助けてくれ九死に一生を得ました。少し落ち着いてから水の中の感覚を思い返し、「やっぱり死ぬんだな、人間は」と死を意識するようになりました。

自分のなかで明確に変わったことがあった訳ではありませんが、なにかが違ってきていました。命は無限じゃない、だから今日なにをすべきなのか。自分には何かやるべきことがある、そう気が付く大きな契機でした。

7年かけて大学を卒業、就職へ


高校は地元の進学校へ通い、相変わらず読書はよくしていましたが、中学校から続けていたバレーボールにも打ち込みました。真剣に打ち込むことでチームワークで何かをするのも悪くないと思うようになりましたね。

高校卒業後は地元の国立大学へ進学し、機械工学を学びました。当時流行りだった内燃機関の分野に進んだものの、実際に勉強してみると興味をあまり持てず、大学での勉強が嫌で仕方なかったです。そのせいか将来のことは考えずに遊んでばかりいて、ウインドサーフィン、飲食店でのアルバイト、女の子とのデート、この3つばかりしていました。

結局、7年かかって大学を卒業したものの、やりたいことも見つかりませんでした。長男だし地元に残ってなんかやるんだろうな、という程度でしたね。就職先を適当に探し、地元の建設会社に就職することになりました。ですがこの会社は2年ほどでつぶれてしまいました。

その後、福岡にある外食産業の会社に入社しました。学生時代も飲食店でアルバイトをしていたので、飲食の仕事は好きだったんです。年中無休で働いて、休み時間も本を読んで専門用語を学ぶ日々。料理人はもちろん、周りで働く人はみんな飲食に関するプロだったので、勉強せざるを得なかった面もありましたね。そうしているうちにスキルアップしていて、なんとなくですが努力の仕方がわかってきていました。かなりのハードワークでしたが、努力を続けるうちに取締役になっていました。

働くうちに、東京へ行きたい気持ちが芽生えてきました。「田舎の三年、京の昼寝」ということわざがあります。田舎で3年一生懸命勉強するよりも、都で1年遊んだほうが知識が身に付くという意味です。この言葉を知って都である東京に行くことを決意し、仕事をやめて東京の友人宅に行きました。ひと月半ほど居候し、結局はその友人の働くIT企業に入社することになりました。30歳の時のことです。

このIT企業では営業の担当になりました。ところが飲食業界からの転職だったのでIT関係の専門用語の知識がなく、打ち合わせなどの時、みんなが何を言っているのかわからないんです。あるお客さんとの打ち合わせ中、自社のエンジニアから「永用さんも会話に参加できるようになるといいね」と言われました。

その言葉で「勉強するしかない」と強く決意し、外食産業のときと同じく本を読んだりしてひたすら努力しました。自分の中に、何かを成し遂げたいという小さいマグマが沸き起こっているような感じがしましたね。最短距離で成長するため、視座を高くしようと社長になったつもりで一生懸命働きました。結果、その会社でも取締役にまでなりました。

しかし、取締役になって色々な意思決定をできるようになっても、社長ではないので最終決定者ではありません。そこで、さらなる高みを目指すため、自身が社長になれる独立の道を選びました。

ダントツで1位になりたいから


IT企業を退職してすぐに独立しました。以前から付き合いのあったフリーランスのプログラマー集団とともに、CD-ROMの生産を行う仕事をして稼ぐようになりました。

そんなある日、知人のプログラマーから、「インターネットって知ってる?すごいんだよ」と言われました。初めは何を言っているんだろうと思いましたが、よく話を聞いてみると、メールのやりとりなどを通して、日本にいながらにして世界と繋がることができるというのです。その説明に可能性を感じ、インターネット関係の新しい事業を始めることにしました。世の中の流れもインターネットに移っていたのでその勃興期に乗り、CD-ROMの生産からWeb制作に衣替えしていきました。

人をどんどん採用して200人の社員を擁するまでになり、Web制作会社として業界の中でもトップランナーになることができました。そんな時、一流の会社を担当することも多かったためか、とある会社から指名されて複数の会社と合同でマルチメディア端末の開発と運用を行うことになりました。コンビニに設置し、セルフのタッチパネル操作でチケットを購入したり、端末上でコマーシャルを流せる「ファミポート」という機械です。

端末の開発には社内の全員が反対しました。ですが、一人の優秀なプログラマーが「できる」と言ったんです。私は経営判断をするとき、基本的に自分でわからないものには手を出さないようにしていました。しかし、彼は優れた技術を持ち、信頼できる人物。ここで任せて失敗しても諦めがつくなと考え、彼をプロジェクトのトップに起用してこの案件を受けることにしました。結果、全国に8000台のファミポートの導入に成功したんです。

事業そのものはうまくいっていたものの、端末を合同で作っていた会社がつぶれてしまいました。その会社は音楽配信サービスを行っており、そのサービスを引き受けて欲しいと頼まれました。その時私の会社は何十億も持っていたし、調べもせずに引き受けてしまったんです。

そこから音楽配信を行っている大きい会社を買収し、システムも資金も手に入れました。しかし買収した会社の赤字が多く、1年ちょっとで支えきれなくなりました。結果、買収した会社は売却せざるを得ず、引き受けた音楽配信サービスは他社に引き取ってもらいました。さらに、ファンドからの償還期限があったので、自分の会社も売ることになりました。

こうして、何も無くなりました。戦略もなく、市場調査も満足にしておらず、拙い経営だったんです。浅はかでした。

何もやることがなくなってしまったので大型バイクで旅に出ようと思いつき、免許を取るために自動車学校に通いました。その間に、もう一度起業すると決めて事業の構想を練っていました。

次の事業のきっかけは、マルチメディア端末にありました。目をつけたのはこの端末が持っていた写真プリントの機能です。この端末を使って、オンラインに集中した写真プリントサービスをすれば勝てる。そう考えつきました。オンラインでの写真プリントは過去に携わった経験があり、写真プリントの仕組みも端末の開発で理解していました。こうして、ネットプリントサービスを行うしまうまプリントシステム株式会社を創業しました。

まず鹿児島に工場を作りスタートしたものの、5年間はずっと赤字。かなり苦しかったです。しかし、赤字ではあるものの会員数も売り上げも順調に伸びていました。このままオーダーが増え続ければマーケットを独占できる。そう考えてファンドから厳しい指摘をたくさんもらいながらも、どんどんと新しい工場を作りました。何度も何度も死ぬ思いをしながら、損益分岐点を超えるまで自分の判断を信じ辛抱し続けました。その結果、予想通り損益分岐点を超えてからは一気に儲かり始めました。

業界でダントツで1位になりたい。そう思いながら経営していた矢先、「さらにサービスをつけるから売って欲しい」という誘いをもらいました。誘ってきたのは4,000万人の会員を持つ、ポイントサービスを展開する会社でした。このポイントサービスをしまうまプリントにつけられれば、一気にチャンピオンになれる。最初は担当者に会う気も会社を売る気もありませんでしたが、1位になれるならとの思いから売却を決意し、経営から離れました。

医療業界で新しいスタートを切る


しまうまプリントを経営しているときに、付き合いのあった小児科医から相談がありました。「日本の医療現場では風邪を引いた子どもに抗生剤をたくさん処方する。でも抗生剤は風邪にはほとんど効かない。気休めで薬を出すのではなく、親を指導しながら正しく子どもに薬を処方したい」。これが彼の思いでした。ナンバーワンが好きなので「100医院をつくるなら手伝う」を条件にしたところ、小児科医は「やる」と返事しました。お金を集め、ビジネスモデルを作り、医院を開きました。

やるからには勝とうと思い、年中無休で朝8時から夜10時まで営業したところ、1医院目で人気の医院ができました。そのままの勢いで4つの医院を出したところ、小児科医から「これ以上の開院は厳しい」と言われお互いの目標が異なってしまったのでそのまま私も経営から離れました。

しかし、この経験から次の事業のアイディアを得ることができました。医院を経営しているときに、スーパードクターがいることに気がついたんです。大きな病院にいるスーパードクターの診療を受けるためには何カ月も待たないといけません。誰だって腕の良い医者にかかりたい。大きな病院では仮に月3件しかできない手術を、スーパードクターが手術に専念して月に50件、100件行えたとしたら、患者は喜びますよね。この発想をもとに手術専門のクリニックを支援する、SDPジャパン株式会社を創業しました。

さらに、現場を見る中で患者が病院を転々として何度も同じ検査を受けていることにも気がつきました。1回の検査で良いものを、何度も受けさせられてコストがかかっている現状があったんです。もし患者が自身のカルテを見ることができれば、診療データを自分で他の病院に持って行くなどして使いまわすことができます。カルテを電子化して開放し、患者もアクセス可能なものにすれば、便利だし治療コストを下げられると考えました。

また、カルテを電子化すると、医療者側にもメリットがあります。例えば開業医は、騙されているのではないかと思うほど高いシステム投資をしている場合があるんです。そこで、「カルテを患者のものにしよう」「クリニックのITコストを劇的に下げよう」という2つのビジョンをもとに、きりんカルテシステム株式会社を創業し、完全無料の電子カルテサービスを自社開発しました。

また、将来の医療現場の人手不足を見越し、滅菌業務や受付をアウトソーシングできる会社として株式会社ルフト・メディカルケアと経営統合しました。滅菌業務は看護師や技師が担っていましたが、特にその業務自体に資格が必要なわけではないんです。資格のいらない仕事をアウトソーシングすることで、看護師たちは本来の仕事に集中できると考えました。そこで、私たちで雇い、専門の教育したスタッフがクオリティを保ったままサービスを提供できるようにしています。

医療のプラットフォーマーになる


現在は医療を軸に、SDPジャパン、きりんカルテシステム、ルフト・メディカルケア、この3つの会社を経営しています。医療のなかでも一見バラバラに経営しているように見えるかもしれませんが、本当に役立つサービスを継続させたい、その気持ちで創業した結果です。

事業をやる上では、医療現場の課題解決を目指す一方で、利益を出すことも重視して経営しています。事業を継続するためには利益が重要だからです。いくらいいサービスを提供したとしても、継続しなければ何の役にも立ちません。働いてくれる人たちの給与アップはもちろん、設備投資にもお金が必要。良いもの、良いサービス、良い技術の提供と、利益を出すことは両軸だと考えています。

将来は、どの会社でもよりよいサービスを目指し展開していく予定です。例えばきりんカルテシステムでは、クリニックの決済事業を進めていこうとしています。日本の病院では現金決済が主流ですが、キャッシュレス化ができれば現金の管理コストが削減できます。それだけではなく、電子カルテから決済まで、クリニックのお金を一貫して処理できるようにお手伝いしたいと思っています。

ほかにも、規制緩和により日本もアメリカのように処方薬をネット購入し、自宅に配送してもらえる時代がくると予想しています。Amazonがオンライン薬局を手掛ける企業を買収したことも裏付けの一つです。電子処方箋とオンライン服薬指導で処方薬が通販で届き、決済も同時に済む。こうすれば患者もクリニックも、より効率よく便利になるはずです。

私たちが目指しているのは、医療のプラットフォーマーになることです。私たちのサービスが実現できれば、診察から決済、薬の処方まで、医療現場の流れがきれいに完成するはず。スマホができて世の中がこれほど便利になったのと同じように、医療においてもITの恩恵を受けられると思います。一例ですが、スマホ内に飲んでいる薬の情報、健康診断の情報、スポーツジムのデータなどが全て入っている状態になって、日常生活でアラートが鳴るようになったら便利だと思いませんか?IT化を進めて、もっと便利に医療を受け、生活できるようにしていきたいですね。

医療の世界には独特の決まりごとがあります。私たちの提供するサービスによって、もしかすると決まりごとのある世界に波風を立ててしまうことがあるかもしれません。ですが、誰を向いて仕事をして、誰がファンになってくれたらいいかを考えると、やはり患者の利益を考えたいんです。これからも本当に役立つサービスを継続させ、医療のプラットフォーマーを目指していきます。

2018.12.04

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