研究×経営で医療界のフロンティアに。チャレンジし続け、日本医療に貢献する。

眼科医として、ドライアイや角膜移植免疫などの研究と母校の大学病院の経営、そして海外に留学する医大生のサポートに携わる猪俣さん。医者にもマネジメントが必要だと考え、アメリカに渡り研究を続けながらMBAを取得しました。毎日が挑戦の連続だったアメリカ生活で猪俣さんが得た考え方とは?お話を伺いました。

猪俣武範

いのまた たけのり|眼科医
眼科医。ハーバード大学眼科スペケンス眼研究所に留学中、ボストン大学でMBAを取得。現在は母校である順天堂大学医学部附属病院の眼科で助教を務め、角膜移植やドライアイなどの研究に力を注ぐ一方、医療経営や海外留学へのサポートに携わる。

目標を達成する面白さ


千葉県船橋市で生まれ、茨城県取手市で育ちました。母が小学校教師をしていて、我が家の教育方針は「みんなのためになることを積極的にやること」でした。そのため、学年が上がるにつれて、学級委員や生徒会の役員に自ら立候補するようになりました。

中学は、親の勧めもあり、近くにある中高一貫の学校に進みました。規律を重んじる学校で、1年生の道徳の時間に、「切磋琢磨」「克己心」といった様々な教えについて、自分の考えを書く授業があったんです。毎週辛かったですが、教えが身につくのを感じました。

特に心に残っていたのが「克己心」です。この教えによって、目標の達成に向かって己の心を律して努力する力が身につきました。中学校では、勉強とテニスの両立を目標に掲げ、両方を頑張っていこうと決めました。朝練して授業を受け、放課後に部活をしてから塾に行く、という毎日を送りましたね。

中学に入った頃から漠然と、将来は地域のお医者さんになりたいと思っていました。近視で近所の眼科に通っていた時に、多くの患者さんに対して優しく診療している先生を見て、医者は人に喜んでもらって地域に貢献できる、良い仕事だと思ったからです。

高校には医学部コースがあったのですが、勉強のために部活をやめなければならないコースでした。テニスと勉強の両立を目指していたため、部活を継続できる東大コースに進みました。この時、勉強とテニスの両立という自分の目標をより明確にすることができました。テニスを続ける傍ら必死に勉強をして、東京の私立大学の医学部に合格することができました。

大学に入ると、テニス部に入ってテニス漬けの日々を送りました。これほどまでにテニスに夢中になったのは、達成感を感じられて面白かったからです。テニスでは、自分で決めた目標に向けて練習したことが、結果として明白に現れます。自分で決めた目標をひとつひとつクリアしていくことで、最終的には全日本学生選手権に出場することができました。

それから、キャプテンになったことで、リーダーシップの取り方や部員のマネジメントを実体験として学ぶことができました。キャプテンとして意識していたのは、部員が自分の進歩を感じられるようにすることです。テニスは実力が結果に出るスポーツ。自分より上手い人に勝つ為には、その人より実力をつけるしかありません。でも、部員全員が上手いわけではないんですよね。そこで、誰かに勝つことではなく、一人一人が自分の目標を達成することを大切にしていました。部員にも、目標を持って、達成のために課題をどう乗り越えていくか学んでほしいと考えていました。

医者にもマネジメントの知識が必要


テニスに没頭しつつ、試験前などのポイントは集中してメリハリをつけて勉強し、医師免許を取得。その後の研修先には、外部の大学病院を選びました。今までとは違う環境に身をおいて成長したいと思ったからです。1年目は大学病院、2年目は市中病院で研修を受けました。専門は眼科を選びました。自分が憧れた医者の先生が眼科だったことに加え、診断から治療までできることに魅力を感じたからです。

研修をして日々感じていたのは、医者もリーダーシップとマネジメントを学ぶべきではないかということです。医者は医療のプロであっても、人材育成や経営のプロではなく、卒後にそのような知識を学ぶ機会は保証されておりません。医者も人を育てるのだからリーダーシップが必要だと思いました。さらに今後の経済情勢を考えると、医療機関の経営管理についても体系的に学ぶ必要があると思いました。

25歳、これからの人生におけるミッションについて、真剣に考えました。たくさんの人に会って話を聞いたり、週に何冊も本を読み、学んだことをすぐに行動に移したり。様々なことを学ぶうち、「マネジメントの知識を持った医者になる」ということが、自分の人生でチャレンジする意味がある目標だろうと思うようになりました。

この目標を実現するために、海外留学しようと決めました。スポーツ選手がもっと強くなるために世界へ羽ばたくように、海外で自分の力を高めたいと考えたんです。

まず医療の研究目的で留学して、それが終わったらビジネススクールに通おうと決めて、留学の準備を始めました。研修医を終えて母校に戻って博士号を取得後、アメリカに渡りました。

1回きりの人生、自分にしかできないことを


初めは最初の2年で研究して、その後2年でビジネススクールに通おうと考えていましたが、ビジネススクールに研究をしながらでも通える社会人向けのコースがあることがわかりました。一度研究を離れてしまうと戻ってくるのが大変だと感じていたので、医者として働きながら通えるそのコースに通うことに決めました。

アメリカでの留学生活は、毎日が挑戦の連続でしたね。日本で簡単にできることが、向こうではそうはいかなかったんです。家を借りることも、携帯電話を借りることも挑戦でした。

そもそも情報が少ないんです。日本で準備していた時から留学の情報収集には苦労しており、必要な書類や情報を知っているキーマンがわからず困っていました。僕自身の困り事はいろんな方に聞くことでなんとかなりましたが、同じように留学したいけれど情報が少なくて困っている人は多いのではないかと思いました。

そこで、他の人が同じ思いをしなくてすむように、現地の情報をブログで発信するように。さらに多くの人を支援できるよう、医療従事者の海外留学を支援する一般社団法人も立ち上げました。

留学先では、角膜移植免疫とドライアイ炎症について研究しました。アメリカでは医療へのITの導入が進んでいて、医療とITの融合は今後必ずニーズが出てくるだろうと感じました。色々なことを学ぶうちに視野が広がり、イノベーションに対する興味が強くなってきました。

そもそも眼科は、イノベーションが多い分野です。目は体の外側にあって独立した組織なので、他の臓器よりも色々なことを試しやすい。これまでのイノベーションも目から起きているケースが多いんです。一回しかない人生ですから、誰にでもできることよりも、僕にしかできない新しいことがしたい。そのために新しいものを見つけたり、生み出すことに取り組もうと思いました。

好きな言葉はチャレンジング


研究よりも大変だったのが、ビジネススクールでした。本当にきつかったですね。言葉がわからない上に勉強も難しく、自分から手をあげないと評価してもらえないシステムなんです。先生の質問に僕が答えていると、他のクラスメイトが手を上げて指されるのを待っているんですよ。喋りながら、「やばい、全然違うこと言ってるな」と焦っていました。

劣等感や、日本では経験したことがないマイノリティである感覚を感じました。テニスで培った精神力があったので心が折れることはありませんでしたが、通うのが本当に辛かったですね。あんまり辛いので、ビジネススクールに行く時だけは自分に贅沢を許してタクシーを使ったりしていました。

そんな状況で支えになったのが、「チャレンジング」という言葉でした。日本では大変なことがあった時、辛いとか無理だよということが多いイメージですが、アメリカでは違いました。例えばスクールでたくさん宿題が出た時、クラスメイトは「これ、チャレンジングな宿題だね」と言うんです。辛いとか無理だと、まるでダメな気がしますが、チャレンジングだとできそうな気がしてくるんですよ。そのため、辛い時こそチャレンジングと口にするようにしました。凄く好きな言葉になりましたね。

ビジネススクールでは、社会貢献とリーダーシップについて多くの学びを得ることができました。アメリカでは、リーダーシップを取ることが社会への貢献になると考えられていて、リーダーシップを評価する文化があるんです。

例えば履歴書に、学級委員だったことや部活の部長だったことを書くんですよ。日本だとあまり書かないですよね。アメリカは、学力があるのはあたりまえです。学校のクラスでも部活でも地域活動でもどんなグループでもいいから、リーダーシップを取る。その経験を積むことで、どうやって世の中に貢献するかが一番大事だとされています。

これまで僕は学級委員や部活のキャプテンをしてきましたが、それがどういう貢献になるかは考えていませんでした。自分が世の中にどう関わっていくかが大事なんだということを学びましたね。特に僕ら医療従事者は、そのことをもっとよく考えなければならないと思いました。知識を増やすことだけではなく、それを社会に還元していくことの大切さを、大人になって学び直すことができました。

母校の医学部をアジア1位に


現在は眼科医として母校の大学病院に勤務し、臨床や研究を行うほか、医学生の教育や病院の経営にも携わっています。

臨床・研究では、ドライアイや花粉症の研究や、角膜の移植をするための免疫の解明、人工知能の導入などに主に取り組んでいます。アメリカで学んだような、医療とITとの掛け合わせで研究を進めていますね。

ドライアイや花粉症の研究としては、症状と生活習慣との関連性を調べられるアプリをつくり、リリースしました。これによって、どのような生活習慣が症状の重症化に影響するかを調べています。

例えばドライアイに関して言えば、これまで目薬による治療が主でした。しかしデータが集まれば、その人のライフスタイルに合った治療法を提示できるようになるんです。喫煙をやめるのがいいのかもしれないし、コンタクトレンズを使っている時間やパソコンのモニターを見ている時間を減らすことがいいのかもしれない。生活習慣から症状を緩和する方法がわかれば、その人に合ったオーダーメイドの治療方法を提案できるようになるんです。さらに進めば、人工知能が自動でその人に合った治療をしてくれるようになる。医療はもっとオーダーメイドになっていくはずです。

こうやって、リサーチして、自分が考えたアイディアを実現していく過程が面白くて好きなんですよね。

研究のほか、診療の質のマネジメントも担当しています。これまでの日本の医療の現場は、お互いの呼吸を感じ取って、個人個人が頑張って診療していました。しかし、例えばアメリカ人が日本のこの医療現場に来ても、同じように雰囲気を掴んで診療することはできないんです。

そのため、現場に様々なルールやポリシーを作っていこうとしています。誰がやっても同じ結果が出るよう、システム化してわかりやすくするんです。そうすることで、効率があがり、コミュニケーションがしやすくなり、ひいては医療ミスも防げるようになると思っています。

医療界は、高齢人口の増加や薬剤費の高騰など、暗いニュースばかりで、病院の経営が大変になると言われています。今後は、病院が率先して医療の質の向上や業務の効率化に取り組んでいかないと経営に行き詰まるはず。僕達がそんな状況を打開するモデルケースになれればと思っています。

今後は、マネジメントに関する仕事に力を入れていきたいです。最終的には、母校の医学部をアジアでNo.1にすることが目標です。これを達成することによって、僕を育ててくれた組織に恩返しができるし、後輩をはじめ一緒に働く人たちみんながハッピーになると思うんです。そして、日本の医療界をリードして行く存在になることで、日本社会に貢献していきたいです。

2018.11.29

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