もっと家族を幸せに。最愛の娘たちから教わった自分の使命。
【株式会社サイエンス提供】セントラル型浄活水装置やマイクロバブル入浴装置など、生活に必要な水にこだわった商品の開発を行ってきた青山さん。固定概念に縛られず、新しい商品を生み出す背景には何があったのか。お話を伺いました。
青山恭明
あおやま やすあき|株式会社サイエンス 取締役会長
「新生活提案という事業を通じ、お客様に永続的に喜びを与え続ける」という理念を掲げ、セントラル型浄活水装置やビルトイン型マイクロバブル入浴装置等の開発・製造・販売を行なっている。三女の父親で娘たちを溺愛しており、娘の結婚式では興奮のあまり倒れるのではないかと心配されている。
※この記事は株式会社サイエンスの提供でお送りしました。
お前と結婚することに決めた
大阪市東成区にお寺の次男坊として生まれました。両親は、家を継ぐ長男には将来のための教育をしていましたが、次男である私には放任主義でした。そんな環境もあってか、幼少期はわがまま放題で、自分のやりたいことや興味のあることしか目に入らず、周りの人の気持ちを考えない乱暴な性格でした。小中学校では何度も親を呼び出されました。
高校生になっても、変わらずやんちゃで、付き合う女の子もコロコロ変えていました。ところが高校1年生の終わり、メインでお付き合いしていたとある女の子と一緒にいるとき、ふと「俺、こいつとずっと一緒におれるわ」と思いました。すぐに本人に結婚の申し込みをしたかったのですが断られるのが嫌だったので勝手に「俺お前と結婚することに決めた。お前断られへんねん」と言いました。彼女から、親の手前、高校だけは卒業したいと言われたので、結婚は卒業まで待つことにしました。
高校3年生のとき、彼女の親のところへ行き、娘さんと結婚したいと伝えました。すぐには決められないと、かわされそうになったので、どうすれば結婚できるのか考え、彼女の親戚の中で一番発言力のある人に認めてもらえば、結婚を許さざるをえなくなるのではないかと思いつきました。そこで、すぐに親戚の中で一番の発言力を持つ方と連絡をとり、会いに行って彼女と結婚したい旨を伝えました。
するとその人は、社会に出て自分の力で200万円稼いでくれば、一族が何を言おうと結婚を認めさせてやると約束してくれました。そうなるともう大学に行ってる場合ではありません。自分の将来について、高校を卒業したら大学で経営を学んで商社に入って、商売のいろはを学んだ後に独立するんだと考えていましたが、それでは結婚するまでに時間がかかりすぎます。一刻も早く金を稼がなければと思い、高校卒業と同時に自動車タイヤの製造メーカーに就職しました。
自分の未来の姿を見た気がした
人と話すのが好きだったので、営業の仕事がしたいと考えていましたが、配属してすぐ任されたのは工場での作業。しかも高卒のキャリアでは最低でも7年間は工場の中から出られないということが入社してすぐにわかりました。大学を卒業して入社したキャリア組はたった1ヵ月の研修期間中しか工場にはいないにも関わらずです。
人間としての能力ではなく、学歴のみで評価される現実を目の当たりにし、こんなことでええんか、となんとも言えない気持ちになりました。それでも、給料は一般の人に比べて多かったので、我慢して働きました。
そんな中、隣で作業をしていた40代くらいの作業員のおっちゃんが、工場用の機械に腕を挟まれて怪我をする事故が起きました。大騒ぎする工場内の光景を見つつ、「うわ、いつか俺もこうなるかもしらん」と背筋が寒くなりました。そして、これから先何十年も続く人生をずっとここで過ごすのは嫌だ、と思い、事故があったその日に退職届けを出しました。入社してたった2ヵ月後の出来事でした。
人生最大の侮辱
次の仕事を探すため、新聞の求人欄を見ていると、とある会社の不動産事業部の募集に目が止まりました。給与として固定給15万、プラス歩合給が支払われると書かれていました。歩合の意味もわからず、こんなにお金がもらえるならとすぐに面接を受け、内定をもらいました。
入社してすぐに社内の異様な雰囲気に驚きました。朝礼でいきなり軍艦マーチが流れたり、上司の言うことが絶対で、殴る蹴るは当たり前だったりしたからです。ただ、僕は何もわかってないので「営業会社ってみんなこんな感じなんか」くらいにしか思っていませんでした。
入社して半年後、他の同期が売り上げを上げる中、自分だけ1件も契約がとれませんでした。それも当然で、実は心の中に、会社に行きさえすれば給料がもらんだから、売れなくてもいいやという気持ちがありました。
そんなある日、朝礼で本部長が前に立ち、会社の雰囲気が悪いという話をしはじめました。そして、その原因はお前にあると僕の名前を呼んだのです。その上、事務員さんも含め、その場にいた社員全員に謝罪させられました。声が小さいと何度もやり直しさせられましたね。
人生で初めて悔しくて涙を流しました。情けなくて情けなくて。「もうやめたるわ」と思ったのですが、ここでやめたら一生逃げたと思いながら生きて行くことになると思い、踏みとどまりました。そして、トップ営業マンになって、自分に謝らせた本部長から引き止められるくらいになってからやめようと決心しました。
それからは寝ても覚めても仕事のことだけを考えて過ごしました。深夜に仕事が終わった後彼女の家に押しかけ、お客さんの役を彼女にやってもらって明け方まで営業トークの練習をする毎日。
すると1カ月くらい経った時、自分でもなぜかわからないのですが、一件契約を取ることができました。それからは急にバカバカ売れて、気がつくとその月のトップ営業マンに。翌月、予定通り退職届けを出しました。周りが必死になって止めてくるのが気持ちよかったです。
次の仕事をなんにするか考える際、世の中がどうなっても「教育」が必要なことは変わらないだろうと思い、学習機器の販売会社に入りました。そこでは前の仕事での営業経験が活き、入社したその月に2週間ほどでダントツトップの成績を残しました。
結果が認められ、20歳で営業本部長に抜擢され、数名だった部署を150人くらいの部隊に1年で拡大。目標にしていた200万円も貯め、ずっと付き合っていた彼女と結婚することができました。仕事もプライベートも順調で、順調に売り上げを伸ばしつつ、娘も3人授かりました。
三女のアトピーを治したい
しかし、3人目の子どもが4歳くらいの時、気になるようになりました。その子は生まれた時から非常に肌が弱く、強度のアトピー持ち。両腕は象皮のようにガサガサで灰色に変色していました。夏でも周りの目が気になって半袖を切られないような状況。そんな娘が幼稚園で同じ組の子から「うわ、きったなー」とか「それ伝染らんの?」と言われて傷つき、毎日泣いて帰ってくるんです。
非常に悩み、毎日家内と相談しました。引っ越しも考えましたが肌が治らなければどこに行っても同じことが起こると思い、どうすれば治るのか方法を模索するように。全国各地のお医者さんに見てもらいました。
その時たまたまある先生の著書を目にし、驚きました。内容は塩素と肌のアレルギー反応の関係について。水道水などに含まれる塩素がお風呂で一瞬で肌に吸着し、アレルギー反応を起こすので、肌が痒くなるとのことでした。思えば三女は家族の中で一番最初にお風呂に入り、寝ている間に痒くなって一晩中体を掻きむしるという生活を繰り返してしまっていました。
そこで友人にお願いし、塩素を分解する薬剤を仕込んだシャワーヘッドを作ってもらい、娘にはしばらくシャワーだけで暮らすようにさせました。するとあれだけ悩んでいた娘の肌がたった3カ月で治ったのです。
娘や妻と一緒に大喜びしたのと同時に、もしかしたら自分はすごいものを発明してしまったのではないかと思いました。娘以外にもたくさんいる、肌荒れで悩んでいる人たちの悩みを解決する商品になるのではと思ったのです。
そこで、量産体制を整え、販売をすることに。当時は思いっきりバカにされました。飲み水ならまだしも、体を洗う水を浄水してなんになるのと言われました。しかし本当に効果があるものだと徐々に認知されるようになり、どんどん売れるようになってきました。それから、浄水器や浴槽など水に関わる商品の開発を行うようになっていったのです。
娘といる時間が人生の全てに
事業が軌道にのってきた時、またしても家族に問題が起きました。今度は2番目の子どもに白血病の疑いが生まれたのです。娘が微熱続きだったことを懸念して、妻が大きな病院のお医者さんに診せたのがきっかけで発覚しました。出張中に電話で娘の病名を聞いた私は一瞬頭が真っ白になりました。白血病=死だと思っていたからです。すぐに家に帰りました。車で帰ったのですがどこをどうやって走ったのか全く覚えていません。
翌日、次女を連れて別の大きな病院に検査に行きました。運転は妻に任せて、自分は助手席でずっと次女を抱きしめていました。検査結果が出ると、医者から僕と妻にだけ、次女が白血病である可能性が高く、即入院が必要であることを告げられました。妻はその場で泣き崩れました。僕も泣き叫びたい気持ちを抑えながら、「頼むからしっかりしてくれ」と妻に言って聞かせました。
必死で心を沈めながら病室に行き、娘に病状を説明しました。何も知らない娘はベットで飛び跳ねながら「明日から学校休めんねんやんな」と言ってきました。僕は涙をこらえながら「そやなぁ!ラッキーやなぁ!」と返し、妻が泣きそうになっているのに気がつくと「服とか取りに行かなあかんからちょっと行ってくるわ」と妻と一緒に部屋から出ました。これまで味わったことのない地獄のような瞬間でした。
その病院には同じような重症の子どもばかりが預けられます。そこでは昨日まで一緒に遊んでいた子が今日はいないということが日常的に起きます。亡くなっていく他のお子さんを見ながら娘を失う恐怖でどうにかなりそうでした。寺の息子のくせに今まで仏様に手を合わせたことはありませんでしたが、その時になって初めて、毎日仏壇でお祈りしました。僕の両手両足を引きちぎられてもいいから、娘の命を3年延ばしてください、と。
一緒に仕事をしていた社員からは「とにかく毎日子どものところにおれ」と優しい言葉をかけてもらってましたが、正直、そんな言葉も耳に入ってませんでした。決められた2時間の面会時間が僕の全てでした。街で、同じ年くらいの子どもさんを連れて楽しそうにしている家族を見ると「お前ら変わってくれ」と思ってしまうほど追い詰められていました。
そんな状況の時、阪神・淡路大震災のドキュメンタリー番組を見ました。震災で店も奥様も子どもも全部失ってしまった中華料理屋のご主人が、最後の最後にカメラに向かってこう言うんです。「カメラ屋さん、俺はこの同じ場所で、絶対立派にやり直してみせるから、そん時は、そのカメラを持ってもっかい写しに来てや」と。
その人に比べれば自分にはまだ家族がいるし、仕事もあるし仲間もいる。どれだけ幸せやねん、と思ったのです。そこで初めて、一家の主人である僕がしっかりしないとと思い直すことができました。
そして面会中、娘から「パパお仕事してる?」と聞かれた時、どれだけ娘が自分のことを心配しているのかと気づきました。考えたら、会社の中でも自分はトップで、家族で言うところの親父的な存在。そんな自分の役割は、一生懸命仕事を頑張って、家族や仲間を安心させることだと気が付いたのです。そこでやっと立ち直り、仕事を再開することができました。
もっと家族を幸せにしたい
現在は株式会社サイエンスで取締役会長として事業全体を見ています。提供している主な商品は大きく3つで、まず1つはセントラル型浄活水装置「サイエンス・ウォーターシステム」というもの。これはご家庭の給水管に取り付けることができる装置で、それによって台所からお風呂から、家全体の水を浄化することができます。
2つ目はマイクロバブル入浴装置「マイクロバブルトルネード」。これを導入すれば浴槽の中に超微細な泡を発生させることができ、その泡が毛穴の奥まで入り込み老廃物をかき出す他、臭いの元も洗い出してくれます。
3つ目はシャワーヘッド型美顔器「ミラブル」というもの。マイクロバブルトルネードで使っていた技術を活かし、浴槽内で作っていた泡を今度はシャワーでも浴びれるようにしました。それによって顔や髪までマイクロバブルの泡で洗うことができるようになりました。
最近ではアジアをはじめ、北欧など日本以外の国からの注文が来るようになり、海外進出のための準備をしているところです。
今後も、会社を通してサイエンスグループの理念「新生活提案という事業を通じ、お客様に永続的に喜びを与え続ける」を体現していきたいです。
私は自分が何をしたいか考えるとき、いつも脳裏には家族の姿が浮かびます。それも、夕ご飯どきに楽しそうに、食事をし、笑いながら喋ってる場面が出て来るんです。家族のことで苦しい思いも幸せな思いも経験しました。そんな家族に支えられて今があると思っているので、僕にとってその存在はすごく大きなものなんです。だからこそ、世界中の家族が喜ぶような商品や仕組みを今後も提供していきたいです。
2018.11.14