岐阜県高山市で育ちました。父とも母とも仲よしでしたが、両親同士は仲が悪く、いつも喧嘩をしていました。小学校低学年のある日から、しばらく父が帰ってこない日が続きました。どうして帰ってこないのか、母に聞いてもわからず、おかしいと思いながら1年ほどが経ちました。

親戚の話などから推測したところ、どうやら父は突然いなくなってしまったみたいなんです。徐々に父がいない事実を受け入れていったので、すごく大きなショックはありませんでした。ただ、「肉親でもいなくなっちゃうんだ」と思いました。肉親でもいなくなってしまうんだから、他人が離れていくのは仕方ない。それからあまり人に期待しなくなりました。

学校では、人とうまくコミュニケーションが取れない子どもでした。小学校高学年になると、何を言ってもいじめられるように。刈り取った稲の残りがカチコチに凍った冬の田んぼに、同級生から突き落とされたこともあります。みんなと馴染もうとしましたが叶わず、ずっとストレスを抱えていました。

そんな中、勉強が得意だったので、徐々に勉強ができることにアイデンティティを見出すようになりました。勉強ができない奴は、みんな俺より下。周りの奴らみんなを見下していましたね。テストで1点でも誰かに負けたら、「なんでこいつに負けるんだ」とものすごく悔しくて。プライドだけが増殖し、誰にもバカにされないようにと常に尖って、勉強にしがみついていました。自分から勉強がなくなったら、死んじゃうと思ってましたね。

高校に入ると、「東大に入る」と決めて自己流で勉強しました。授業中に他の教科の勉強をし、そのことを注意されると「先生、どこの大学出てるんですか」と突っかかっていました。そのくらい切羽詰まって勉強していたんです。

自分としては数学が好きでしたが、親や先生に法学部の受験を勧められて。東大の法学部が最高峰だという認識があったので、東大や東京の有名私大の法学部を受験しました。

結果、有名私大の法学部には合格したものの、東大は不合格。でも意外なことに、東大に落ちたショックよりも、私大に受かった喜びの方が大きかったです。やっとこの狭い街から出ていける。学校からも解放される。そのことの方がずっと嬉しかったですね。

大学に入ると、まず方言を笑われました。今まで訛っているなんて思ったこともなかったのに、いきなりバカにされて。これまで膨らんでいたプライドがズタボロにされました。すごく恥ずかしかったですけど、それで今までのプライドが全部溶けた気がして。環境や付き合う人の変化もあったかもしれませんが、友達と普通に仲良くできるようになりました。開放感があり、ようやく心から楽しいと思えたんです。