価値観に合った生き方探しのサポートを。 今よりもっと広範囲の人に影響を与えたい。

【Teach For Japan提供】人が自分の価値観に合った生き方をするためのサポートをしたいと、福岡県で小学校教員として働く北さん。大企業を退職し、教師としての道を選ぶに至った背景には何があるのか。お話を伺いました。

北 敢

きた いさむ|価値観に合った生き方をサポートする
大学卒業後、大手ディベロッパーに就職したが1年半で退職。その後人材紹介会社を経て、Teach For Japanに応募。現在は小学校2年生の担任をしつつ、地元企業のインターンにも関わるなど地域に根差して活動している。
※この記事はTeach For Japan(http://teachforjapan.org)の提供でお送りしました。

働く=楽しい


千葉県で育ちました。父は仕事がすごく好きな人で、家でもよく仕事の話をしてくれました。出張の前日は遠足に行く前の子どものようにワクワクしていて、いつも笑顔で出勤していました。そんな姿を見て育ったので、自分自身も父のように「めっちゃ仕事を楽しみたい」と思うようになりました。

学校ではとにかくなんでもやりたがる性格で、学級委員や応援団などにはすぐに立候補するようなタイプ。何かが突出してできるわけではなかったですが、人を指導できるような立場が好きだったんです。

両親の希望で私立の中学校を受験し、必死で勉強した甲斐あって合格することができました。自由な校風で、自分にはすごくフィットしていました。学校生活の中で一番力を入れていたのは、水球です。授業中は寝て体力を温存して、放課後になったら誰よりも早くプールに行って1番に飛び込み、1番最後までプールから上がらないような毎日を過ごしていました。頭の中は水球のことばかりでしたね。

強みがあれば認めてもらえる


中学3年生の9月くらいに父の仕事の影響で、アメリカの高校へと転校することになりました。入学当初は言葉が通じず、相手が何を言っているのかわかりませんでしたし、自分の考えをうまく伝えることができませんでした。本来行くべき場所とは全然違う教室に間違って行ってしまい、授業が始まってから「どうしよう」と泣きそうになったこともありました。

また、文化の違いもすごく感じました。例えば水泳の授業で水着に着替える時、みんな水着の下にボクサーパンツみたいなものを履いていたのですが、私が履いていたのはピチッとしたブーメランパンツみたいな水着。「なんでお前はこれを履いているんだ」と聞かれましたが答えることができず、気持ち悪がられたりして、とても恥ずかしかったです。

ところが、日本でやっていた水球を再開してからは実力を認めてもらうことができ、一気に打ち解けました。僕の入った水球のクラブでは学年ごとにチームを分けていたのですが、僕は最初から上級生チームに入れてもらい、レギュラーとして活躍することができました。アメリカでは、何か一つでもできるものがあると、すごく認めてもらえたんです。

さらに、校内だけでなく地域でも有名な合唱チームにも所属。一生懸命に練習してオーディションに合格し、ステージメンバーになると、みんなから話しかけてもらえるようになりました。最終的には、「日本人といえば北だよね」と言われるくらい、みんなと仲良くなりました。

ただ、高校卒業後はなんとなく日本に戻って、日本の大学に入るのが当然だと考えていたので、受験のために帰国することに。卒業式では私も友人も大号泣でした。


違和感を抱えつつも大手企業へ


大学は帰国子女枠がある中から、自分が興味を持っていた日本とアメリカの教育システムの違いについて学べそうな、教育学部や社会学部を選んで受験していました。その中から実家との距離や街の住みやすさなどを考えて、横浜の大学に入学することにしました。

大学では自分の興味のあるゼミに複数所属し、ヨーロッパの文学、アフリカの民俗学、スポーツ科学やまちづくりなど幅広くいろんな分野の勉強をしました。中でも一番興味を持ったのがまちづくり。まだ発展途上のみなとみらいを、自分だったらどう創っていくかというテーマで研究しました。その中で、まちづくりには人と人をつなぐコミュニティが重要なのではないかと考えるようになり、コミュニティ形成に興味を持つようになりました。

3年生になると就活が始まりました。すると、これまで周りに「楽しそうだね、大学生」と言われていたのに、いきなり「やばいじゃん、就活じゃん」と言われるようになり、そのことにすごく違和感を覚えました。友人達も急に自分の将来について考え出し、収入や安定を求めて大手企業にエントリーし始めました。それを見て、みんな同じタイミングで、同じ方法論で就活しなければならないなんて気持ち悪いと感じました。

自分が何をしたいのか、このまま就職するべきか悩み、夏には自分探しのために日本一周の旅に出ました。結局やりたいことは見つかりませんでしたが、旅を通して「まずやってみる」ことは大事だと学びました。そこで、相変わらず違和感はあったものの、就活に取り組むことにしました。

いろいろな企業をみてみるうち、徐々に就活にのめり込んでいって、いつの間にか自分も周りと同じように大手企業ばかり受けていました。最終的には大学で一番興味を持って勉強していたまちづくりに関われる仕事をしたいと考え、大手ディベロッパーに入社することにしました。

価値観が合わなければ人生は辛い


入社後すぐに、不動産の証券化を行う投資会社に出向することに。まちづくりがしたくてディベロッパーに入ったのに、まったく興味のない分野の仕事でした。それでも初めは目一杯頑張る気持ちでいましたが、段々と自分自身が何のために、何をしているのか分からなくなってしまい、仕事と向き合うことができなくなってしまいました。小さい頃から楽しそうに働く父の背中を見ていたので、「仕事が楽しくない」というのがショックでしたね。

また、段々と周りの同僚と自分の価値観が違うことにも気付きました。例えば、多くの人がずっと同じ会社で働くことを前提として考えていること。自分は人生にもっといろんな選択肢があってもいいと思っていたので、違和感がありました。社内にはロールモデルとなる先輩はおらず、会社の中でひとりぼっちになってしまったような孤独を感じました。

いくらいい会社に入って、高い給料をもらって、地位と名誉があっても、自分のやりたいことができなかったり、価値観が合わなかったりすれば辛い思いをしてしまうんだなと痛感しました。そして、自分にあった生き方を見つけ、それを実現できそうな企業を探すことは大切だと考えるようになりました。

そこで、就活中の学生に自分の気づきを伝えたいと思い、人材会社に転職しました。その会社では法人営業がメインの業務でしたが、就活中の学生のキャリア相談も受けていました。しかし入社してすぐに、大学3、4年生に話をしてもあまり将来の進路に対する考え方を変えられないことに気がつきました。いくら「大手企業に行くだけが正解じゃない」という話をしても学生には全然響かず、結局、安定や給料を軸にした会社選びを変えることができなかったのです。

なぜこんな状況になってしまうのだろうと考えた時、そもそも大学3年生になって初めて自分のやりたいことについて考え、会社について勉強し始めるということが間違っているのではないかと思いました。もっと早い段階でいろんな価値観に触れ、どんな風に生きていくべきかを考えることが大事で、その役割は学校の先生が担っているのではないかと考えました。

そんな時、転職活動中に登録していたサイトを通じてTeach For Japanから連絡が来て、教員免許の有無にかかわらず、既定の研修を受けたのち2年間、常勤講師として学校に赴任することができるプログラムがあることを知りました。一から教員免許を取ろうと思うと時間がかかるけれど、この仕組みなら教師に挑戦することができる。そう考え、仕事の区切りがついたところで試験を受け、無事合格することができました。

もっと多くの人に影響を与えたい


現在は福岡県の小学校で、2年生の担任をしています。全ての教科を教えるほか、運動会やマラソン大会など体育系のイベントの責任者として企画などを行っています。Teach For Japanのプログラムでは小学校と中学校から勤務する学校を選ぶことができたので、子ども達と一緒に過ごす時間が長い方が価値観の形成に影響を与えることができるのではないかと思い、小学校をえらびました。

業務の中では、一人一人の子どもたちをちゃんと理解するために、1対1で話す時間を作ることを意識しています。「元気?」とか何気ない会話から初め、悩みを聞き、アドバイスを送ったり、今目指しているものの話を聞き、達成できているのか定期的に確認し、評価をしたり。その上で「じゃあ次のステップはこれだね」と一つ上の目標を提示するようにしています。そうすることで、まず、いい関係が作れますし、評価してもらえているという自己肯定感を持たせることができます。子どもたちがそれぞれの夢に近づくためにすべきことの、ブラッシュアップができればと思っています。

また、子どもたちにいろんな価値観があることを知ってもらうため、ロールモデルになる人と会わせたいと思っています。全然知らない仕事があるということや、仕事を楽しんでいる大人もいるということを知ってほしいんです。しかしただ会わせればいいというものでもないので、今はまだどんな方法がいいのか模索しているところです。通常授業とのバランスをとりながら、子どもたちにとって一番良いやり方を探っていきたいと思っています。

さらに、仕事以外でも、福岡県の中小企業が集まって開いているインターンの、社会人メンターとして活動しています。地域に出てみて、大学生の時に興味を持っていたような人と人とをつなぐコミュニティも、生き方を考えるうえで重要なのではないかと感じています。コミュニティの作り方などを学び、将来は地域の課題を解決したり、そのコミュニティと連携して、子ども達に学びを提供したりできればと考えています。

Teach For Japanのプログラムでは、赴任期間が2年間と定められています。今のところ私は、任期終了後も教師を続けるのかどうかは決めていません。学校の枠に縛られず、もっと広い範囲で活動することもできるのではないかという思いもあります。教育は子どもだけでなく、社会人にも必要なものだと思っているので、さまざまな人に影響を与えられるような人間になりたいですね。より多くの人が、それぞれ「自分がどうやって生きていきたいか」を見つけられるような機会を生み出していきたいです。

2018.10.01

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