主体性ゼロだった人生から一転、起業家へ。大切なのは、何をやるかより誰とやるか。

「面白いかどうか」を基準に、福岡でフォトスタジオやゲストハウスなど、さまざまな事業を展開する貞末さん。周囲に流されるまま主体性なく過ごしてきたという貞末さんが、起業するに至った背景とは。そして、次々と新たな事業に挑戦し続ける秘訣とは。お話を伺いました。

貞末 真吾

さだすえ しんご|株式会社ブルースカイ代表取締役社長
福岡を拠点に、フォトスタジオ事業、宿泊事業、イベント事業のほか、人事・経営コンサルティングやイベントの企画運営など、数多くの事業を手掛ける。

周囲に流されるまま過ごしてきた


神奈川県鎌倉市で、アパレル会社を経営する両親のもとに生まれました。姉と弟の3人兄弟です。

子供の頃から、自分で考えて行動するタイプではなく、周りに合わせて物事を決めていました。中学校では、友達が入ったからという理由でワンダーフォーゲル部に入部。周りの子が塾に行き始めてからは、自分も塾に通い始めました。高校も、塾の仲間と同じ道に進みたいと思い、内部進学で大学に行ける私立高校を受験しました。

高校入学後は、大学受験がないので遊んでばかりの毎日。大学生になってからも高校生の延長のような生活を送り、麻雀やパチンコに明け暮れました。将来のことを考えるよりも今を楽しんでいましたね。就職活動をする時期になってもやりたい仕事がなく、就職したい会社もありませんでした。

アルバイト先の先輩に相談したところ、「ここがいいよ」とダンボールの製造メーカーを勧められました。採用試験を受けてみたら営業職で内定をもらったので、その会社に就職することにしました。主体性ゼロで、周りに流されるままに生きていました。

合コンがきっかけで主体的に


入社したものの、入ってすぐ会社の雰囲気が合わないことに気が付きました。社内は常にピリピリとしていて、取引先との電話が終わると「できるわけねーだろ!」と言って電話機を投げつける人もいるほど、最悪の雰囲気でした。電話機が壊れたことも一度ではなかったです。とにかくその場にいるのが嫌で、営業を経験する前に3カ月でやめました。

その後、父の紹介で繊維系の総合商社に転職。卸業全般を経験しました。ある程度仕事ができるようになってきた矢先、両親から「会社を手伝って。勝負だから戻ってきて」と言われました。父が経営するアパレル会社は、都内に続々と新店舗を出し、新たにニューヨーク進出を考えている時でした。両親を助けるつもりで、会社を手伝うことにしました。

順調に仕事をこなして4年ほど経った、31歳の頃。5年間付き合っていた彼女に、突然フラれました。「他の人と結婚するから」と言われ、ゴネてもしょうがないと思い泣く泣く諦めました。そこから、合コン三昧の日々。

合コンをすることで、彼女は出来なくても、協力してその場を盛り上げる同性の仲間が増えることに気が付きました。異性との出会いの場というよりは、人脈作り。ビジネスとは違う文脈で飲んでいるので、接待をする側とされる側に分かれることもないし、みんなで一つのチームみたいになれて、すごく楽しかったです。尊敬できる人と一緒にいると勉強になるし、何倍にも成長できる。経験値が自分の中に積み上がっていきました。

ある時、合コンを主催してくれる人がいなかったので、2対2の合コンを自分で主催してみました。それが成功し、2人が4人になり10人になり、最大5万人のイベントを主催するようになりました。誘われるのを待つのではなく、自ら進んで主催するようになっていましたね。

「自ら機会を作り、機会によって自らを変えよ」という言葉がありますが、自分にとってはその機会が合コンでした。主体性ゼロだった自分が、主体的に動く自分へと大きく変わりました。

会社では人事も担当するようになり、採用セミナーで知り合った人とも飲み会や情報交換会を頻繁に主催していました。

実家の会社を、突然クビになる


会社がニューヨークに進出すると打ち出してから、なかなかプロジェクトが進まないでいました。そこで、「じゃあ俺やるわ」と手を挙げ、ニューヨーク出店のリーダーに就任。培ってきた人脈を活かし、ようやく出店までこぎ着けました。

父のビジョンは、世界の主要都市でメイドインジャパンのシャツを販売すること。そこで自分は、ニューヨーク出店の次のプランとして、シンガポールとパリにも出店しようと勝手に考え、ニューヨーク出店の間際にシンガポールへと出張に行きました。

会社では、「なんでシンガポールに行ってるの?」という話になっていたらしく、出張中に父から「戻って来い。役員会議を開くからな」と電話が来ました。日本に戻って参加した会議で、「ニューヨーク出店は任せられない」と満場一致で解雇になりました。頭の中はもう真っ白。ニューヨークではすでに家も借りていて、荷物を送る手配も済んでいました。しばらくは現実を受け入れることが出来ませんでした。

解雇された理由ははっきりとはわかりませんでしたが、リーダーとしてプロジェクトを進めていく中で、自分が社長だと勘違いし、好き勝手に仕事をしていたことが大きな要因だったと思います。全社一丸となってニューヨーク出店を成功させましょうという時に、勝手にプロジェクトとは関係のないシンガポールへ行ったのですから、当然と言えば当然の結果でした。

翌日から仕事がなくなり、やることもないので飲み歩く毎日。多くの友人に、朝から晩まで酒に付き合ってもらい支えられました。

失敗しても、命までは取られない


ニューヨークに引っ越す予定でいたので、住む家もなくなりました。せっかくだから好きなところに住もうと思い、出張で行ったことのあった福岡に引っ越しました。

失意の中、たまたま目にした「未来は明るいに決まってる」というキャッチコピーが、とても心に刺さりました。過去の嫌だったことを考えていると、マインドがマイナスに引っ張られてしまいます。過去の事は変えられない。だったら未来を考えようと思うようになりました。

実家の会社をクビになった人間なんて誰も雇ってくれない。もう人の下では働けないと覚悟したので、再就職という選択肢はありませんでした。自分で何かやらなきゃいけないと思い、自分は何が出来るのか、これまでどんな仕事をしてきたのか、キャリアを振り返りました。

その結果、まずアパレル会社での経験を活かして、ヴィンテージショップを開業しました。ヒントになったのは、周りの女性たちが海外旅行に行く度にブランド物を買ってくること。身近にある質屋の方が安く買えるのにと疑問に思い、質屋に行かない理由を聞いてみたところ、イメージが良くない、サービスも良くないという意見がありました。その部分を解決したら、商品が売れるのではないかと思ったのです。そこで、従来の質屋とは違うセレクトショップ風のたたずまいの、若者でも入りやすいヴィンテージショップを始めました。

この事業は軌道にのり、東京にも出店するように。その後も様々な事業に挑戦しました。たとえば、友人からの一言がきっかけで始めた民泊事業。遊びに来る予定だった友人から「ホテルが取れなかったから、遊びに行くのやめた」と言われ、福岡にホテルが少ないことに気が付いたんです。そこで、いつ友達が遊びに来ても良いように4LDKの部屋を借りたのですが、蓋を開けてみると誰も来なくて。活用方法を考え、民泊サービスを始めたところ、世界中からお客さんが遊びに来てくれるようになりました。

その後、法律の関係で民泊サービスからは撤退しましたが、ノウハウを生かしてゲストハウスを作ったり、友人の勧めでフォトスタジオを始めたりと、新しいことにどんどん取り組みました。

私の好きな言葉に、サントリーの創業者・鳥井さんの「やってみなはれ」があります。事業は結果的にうまくいきましたが、成功する確信はありませんでした。でも、やりたいことだからとりあえずやってみようと挑戦したんです。挑戦は時に批判されることもありますが、最初からうまくいくことなんてひとつもない。やってみないとわからないのです。

新しいことを始めるときは、恐怖や不安にとらわれます。そんな時は「失敗したら最悪の最悪、どうなるのか?」と自問していました。もしここで失敗して住むところがなくなったら、友人の家に泊めてもらえばいい。食えなくなったら、誰かのところでアルバイトをさせてもらえばいい。最悪の場合でも、命まで取られることはない。そう考えると、新たな挑戦の一歩を踏み出すことができました。

何をやるかより、誰とやるか


現在は、株式会社ブルースカイの社長として、「生涯の仲間と出会い、生涯忘れられないシビれる体験をつくる」というビジョンのもと様々な事業を展開しています。

事業の柱として、神社の境内にある日本家屋やレンガ作りの一軒家などスタジオにこだわった子供向けのフォトスタジオ「Acestudio」を6店舗運営。2018年中には、7店舗目を開店予定です。

そのほか、福岡市内で泊まれる立ち飲み屋をコンセプトにしたホステル「STAND BY ME」を、タイ・バンコクで唐揚げ定食など日本食などが楽しめる宿泊施設「ホステル trica」を運営しています。さらに、自分の経験を活かして人事・経営コンサルティングをしているほか、月1回の福岡の地域活性化イベント「フクコン」も手掛けています。

事業選びの軸は、楽しそうか、楽しそうじゃないか。マンガ『宇宙兄弟』に出てくる「どっちが楽しいかで決めなさい」という言葉が好きで、意識しています。今後は、宿泊事業・フォトスタジオ事業を軸に拡充していく予定です。

主体性を持って動くようになってからは、仕事が楽しくなりました。友人と飲んでいても、「こういうのが世の中にあったら面白いよね」と結局は仕事の話になる。好きな仲間たちと新しい事業を開発することは、人生の楽しみでもあります。事業を立ち上げた後は、やりたい人がいれば任せていこうと思っています。

来年は、子供の教育の為に家族でタイに移住する予定です。月のうち1週間はタイ、2週間は福岡、残りは地方や海外に出張に行くイメージです。大好きな人と大好きな場所で、大好きなことをしていきたい。様々な事業をやっていますが、大切にしているのは「何をやるかより、誰とやるか」。これからも、面白い仲間と面白い事業に挑戦し続けていきたいです。

2018.09.27

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