人や企業を輝かせられる人になる。 大企業にイノベーションの文化を。
【Creww株式会社提供】自前主義が根強い大企業の中で、他社と連携しながら新規事業立ち上げの素地を作っている中村さん。自分を調整役だと捉え、周りの人たちを輝かせたいという思いで仕事をしています。中村さんが自らの役割を確立するに至った経緯とは。お話を伺いました。
中村友香
なかむら ゆか|人や企業をもっと輝かせたい
東京地下鉄株式会社で、新規事業企画担当としてスタートアップ企業と一緒に新たな事業の開発に取り組む。1児の母でもある。
※この記事はCreww株式会社の提供でお送りしました。
自分に自信が持てなくなった
千葉県市原市に生まれました。小さいころから真面目な性格で、親や先生の言うことが絶対正しいと思い込んでいました。なんでも言われた通りにしていたので勉強も習い事もまずまずの成績。言いたいことはハッキリと口にしていたように思います。
中学校では、吹奏楽部に所属。部員数が多く、「先輩や先生が言うことは絶対」のような体育会系の文化がありました。2年生の夏からは部長を任されることに。本当にできるか不安もありましたが、先輩からの指示でもあり、断るわけにはいきませんでした。
案の定、先を読む力や段取りが不足していたりと至らないところが多く、顧問の先生から何度も激しく叱責され、一時的に部長を解任されることも。人の前に立って引っ張ることの難しさを強く感じましたね。勉強も習い事もそれなりにできてきた私にとって、初めて味わった大きな挫折でした。
それでも、もともとの変に真面目な性格のせいか、辞めるという選択肢はありませんでした。引退まで自分に自信がない状態がずっと続き、それからは部活以外でも、常に「本当にこれでいいのかな」と不安を感じ、周りの人の意見や様子を必要以上に伺うようになってしまいました。
周りを引き立たせる役割に
高校は、希望していた千葉市の進学校に推薦で入学することができました。しかし、自分の実力以上に背伸びをして入った学校だったこともあり、赤点を免れるのがやっとという状態でした。周りを見ると、たいして勉強しているようには見えないのに常に成績のいい友人がいて。能力の差を感じ、「世の中にはこんなに頭いい子たちがいっぱいいるんだ」と自分が井の中の蛙であったことを痛感しました。
高校では体育会気質ではない、楽しい部活をやりたいと考えていました。そのため、先輩たちが楽しそうに演奏する姿が印象的だったマンドリン楽部に入ることに。マンドリン楽部は練習メニューも演奏する曲も役職も、何もかも自分たちで決めて進めていく自主性の高い部活でした。
2年の夏からは副部長を務めることになりました。中学時代の経験もあり、自分から意見を出して周りを引っ張るというよりは、どちらかといえばみんなの意見を聞いてまとめる役割に徹しました。キャラクターの濃いメンバーが集まっていたこともあり、自分の意見よりも面白い意見が出るので、それを聞きたいと思っていましたね。時には意見がぶつかることもありましたが、みんなで一つの方向に向かって進むことができ、私自身も楽しく部活を続けることができました。
大学進学に関しては、行きたいと思っていた大学に全て落ち、浪人することになってしまいました。今勉強しないとこの状態がずっと続いてしまう、という不安感から必死に勉強しました。親への申し訳なさもありましたね。また、ストレートで大学に行った友達を見て感じる悔しさやうらやましさも、勉強のモチベーションになりました。その結果、憧れていた東京の大学に合格することができました。
大学では、浪人していた反動もあり、サークル活動やアルバイトに夢中になりました。特に楽しくて力を入れていたのは、野球場のビールの売り子のアルバイトです。親が野球好きだったため幼いころから野球観戦に行っており、ビールのお姉さんになんとなく憧れていて。はじめは肉体的にも精神的にもかなりハードで、一緒に入った友達はどんどん辞めていくし、続けられるか不安に思っていました。しかし自分のことを覚えてくれている固定のお客さんが増え、売上も徐々に伸びてきたことで、どんどん楽しくなっていきました。
ちょっとした憧れで始めたアルバイトでしたが、いざ始めてみると奥が深く、いろんな発見がありました。例えば、ビールの売り子は野球の試合を盛り上げるための一つのツールでしかないということ。お客さんは野球を観に来ているので、大事な場面でお客さんの目線を遮ると「邪魔だよ」と怒られてしまいます。試合の状況をしっかり把握して、点を入れて盛り上がった時など適切なタイミングで声をかける必要があるのです。一見華やかに見える売り子ですが、お客さんの「野球観戦」という思い出づくりのための引き立て役に徹することが必要なのだと気づきました。それは高校の部活での自分のポジショニングとも似ていて、自分に合っているのではないかとも思いました。
就職活動については、ビールの売り子の経験から営業職なども検討しましたが、これまで経験したことのない、社会に大きな仕組みを提供する仕事がしたいと考えるようになりました。鉄道会社や情報通信会社などを中心にエントリーし、東京地下鉄株式会社から内定をいただくことができました。
自分の仕事が会社を動かす
現場研修を経て、初めて配属されたのは財務部。配属されて間もない頃、数字を桁ひとつ間違えてシステム入力するという社内的に大きなミスをしてしまいました。別の部署からの指摘で発覚し、焦って謝りに行こうとしたら、上司が「チェックしたのに見逃した俺のせいだ」と言い、一緒に頭を下げに行ってくれました。その時、「新人の私のために頭を下げてくれる人がいるんだ、自分も部下を持つ立場になったらこういう人になろう」と強く思いました。
財務部での主な仕事は、資金調達と資金繰管理。会社全体の大きなお金の流れを把握し、会社を縁の下から支えていることにやりがいを感じていました。
特に自分の仕事の大事さを感じたのは東日本大震災の時です。日本全体が自粛ムードの中、地下鉄の利用者が減り、目に見えて会社の収入が減っていきました。余震が続く中、この状態がいつまで続くんだろうと不安に思いながらも、支払い状況を再度入念に洗い出すとともに、金融機関から急きょの資金調達を行い、取引先への支払いや社員への給料などが支払えなくなるという最悪の事態を避けることができました。
6年間財務部で過ごした後は、経営管理部で、経営会議等の円滑な運営のために経営層と各部門の間で調整する仕事を担当しました。そこで強く思ったのは、経営層と社員の間の壁の厚さでした。経営層が考えていることは社員になかなか伝わらず、逆に社員の意見などもなかなか経営層までは届きにくいと感じました。社員数が多く、規模の大きな会社なので仕方のない部分もありますが、私は両者の間の壁が少しでもなくなるような調整を行うことを意識していました。
異動して間もなく、子供を授かることができました。異動したばかりで長期の休みをとることになり、「個人的な都合ですみません」と謝ると、上司から「長く休みを取ることを中村は申し訳ないと思うだろう。でも、周りに迷惑をかけていると思うのではなく、この状況に感謝して、戻ってきてから会社に恩返しをするつもりで長く働きなさい」と言われました。その言葉のおかげでもやもやが吹っ切れ、必ず会社に戻って恩返しをしようと決意しました。子どもが通う保育園もなんとか見つけることができ、9カ月後に復職しました。
素地を作るのが私の役割
復職後、すぐに企業価値創造部の新規事業担当に異動になりました。すぐ隣の部署であったことから、漠然と前向きで楽しそうな仕事というイメージを持っていました。しかし、実際に始めてみると非常に大変な仕事であることに気がつきました。
まず大変だったのは、設立されたばかりの部署であるため、ノウハウがなく、すべてを試行錯誤しながら進めなければならない点。特に私はこれまで何かを考え生み出すという仕事をしてこなかったので、初めてのことばかりでした。また、鉄道会社は安全・安心の運行体制が既に確立されており、決められたことをきちんと遂行する文化が強いため、新しいことを取り入れようとすると社内の調整が非常に難しいところも大変な点でした。
私が担当になったのは、Creww株式会社の提供するアクセラレータープログラムを利用した新規事業の企画・運営。プログラムは、新規事業をやりたいと考えている企業が、スタートアップ企業から新しい事業のアイデアを募集し、事業を一緒に立ち上げるというものです。私は、アイデアを募集するところから実行に落としていくための調整まで、一貫して行っています。
様々なスタートアップ企業と関わる中で思ったのは、「世の中にはこんな発想を持って、その実現のために身を粉にしている人がこんなにたくさんいるんだ。私にはそんな面白い発想は絶対に浮かばない」ということです。スタートアップが生み出す新しい価値を、大きくして世に送り出していくために全力を尽くすという、裏方的な仕事が自分の役割だと改めて強く思うようになりました。
オープンイノベーションを当たり前に
現在は、アクセラレータープログラムの運営をメインで担当しています。スタートアップ企業などから新規事業のアイデアを募集し、形にするところまで担っています。
実際に作っているサービスの中には、例えば、視覚障がい者向けのナビゲーションシステムがあります。視覚障がい者の方は、駅では点字ブロックに沿って移動しますが、経路が複雑な地下鉄の駅では迷ってしまうことがあります。そこで、点字ブロック上にQRコードを貼り付け、それをスマホで読み取ることで、目的地までのルートを音声が読み上げてくれるサービスを開発しています。現在は実際の駅での実証実験を行っています。
スタートアップ企業などと一緒に事業を考えることは、新しいアイデアや技術を提供していただく以外にも、自社にとってプラスになることが非常に多いと考えています。
例えば、一つ目はスピード感を学べること。大きな企業とは違って、スタートアップ企業は担当者が権限を持っていて、その場で全部決めてしまいます。だから形になるのが非常に早いんです。そんなスピード感は大変勉強になるとともに、こちらの都合で迷惑をかけないようにしなきゃと必死になりますね。
二つ目は、スタートアップ企業との対等な関係を学ぶことで、今まで自社だけでは生み出せなかった新しい価値を生み出す風土を育てられること。これまでは、必要な部品を納品してもらうといった決められた業務をお願いする場合がほとんどでした。しかし一緒に新しいものを作り出すパートナーとしてのお付き合いができるようになれば、その中でもっと新しい価値を生み出すことができると思うのです。
そのために、新規事業と関係のない他部署の社員であっても、プログラムに参加してもらうようにしています。社員は、鉄道運行を担う大きな仕組みの一部を担当することがほとんどで、新しい事業を生み出すことについて考える機会があまりありません。このプログラムに参加することで、その経験を積むことができると思っています。
今後は、会社の中で当たり前にオープンイノベーションが生まれる状態を目指したいと思っています。当社は良くも悪くも、これまで自前主義でなんでも内製してきました。しかし変化の早いこれからの時代、ただそれだけでは取り残されてしまうし、新しい事業や価値を生み出すのは難しいと思います。スタートアップ企業と連携することで、自分たちだけでは思いつかない、実現できないような新しいものが生まれます。今の取り組みを続け、社内にオープンイノベーションの文化を根付かせていきたいです。
また、個人的な目標としては、裏方として人や企業を輝かせられる存在でありたいと思っています。新規事業担当としてアクセラレータープログラムを進めていく中で、関わったスタートアップ企業のサービスが広まり、企業自体が成長していくのを見た時、とても大きなやりがいを感じました。関わる人や企業を輝かせられる、そんな仕事や生き方をこれからも続けていきたいです。
2018.09.24