「ちゃんとしない」をちゃんとやる。子どもの強みを引き出す未来の学校づくり。

【BASE Q提供:イノベーション実装CH】学校法人角川ドワンゴ学園が運営する「N高等学校」の副校長を務める上木原さん。塾講師として17年間生徒と向き合い続けた後、なぜネット高校の運営に取り組むことにしたのか。上木原さんが考える、これからの時代における教師の仕事とは。お話を伺いました。

上木原 孝伸

かみきはら たかのぶ|N高等学校副校長
大手教育企業で講師として17年間教壇に立ち、受験指導に携わる。偏差値教育の限界とIT×教育の可能性を感じ、2015年に株式会社ドワンゴに入社。日本全国で生徒が学習しているネットの高校の運営という前例のないチャレンジに挑む。

生徒の良いところを伸ばせる教師に


大阪府東大阪市で生まれました。小さい頃から、考えることが好きな子どもでした。まわりから何かを言われても「それって本当に正しいの?」と、自分で問い直すんです。

一方で、整理整頓が苦手で、学期末には荷物がまとめられたダンボールを抱えて家に帰っていましたね。先生には「ちゃんとしなさい」と怒られてばかり。それでも、誰かに迷惑をかけているわけではないと勘違いしていたので、特に気にしていませんでした。

雑な性格だったので字も汚く、国語の教科書を書き写す宿題では、いつも「がんばりましょう」のマークがつけられていました。ただ、担任の先生は、あるとき、ひらがなの「て」という字にだけ「はなまる」をつけてくれました。

汚い字の中でたまたま綺麗に見えただけかもしれませんが、ちゃんと見つけてはなまるをしてくれたことが嬉しくて、丁寧に書写をするようになりました。それから、一文字ずつはなまるが増えていきました。褒めてもらえるのが嬉しくて、さらに頑張ろうと思えました。

ただ、片付けなどができないのは相変わらずで、先生に言われた「ちゃんとする」はしないくせに、余計なことを口にするので、先生からはあまり好かれていなかったと思います。

特に、小学高学年の時の担任の先生とはうまくいきませんでした。管理が厳しい先生で、給食中は私語厳禁。それはおかしいと思い、小学6年生のあるとき、先生に反抗しました。すると、職員室に呼ばれてものすごく怒られました。

さらには、クラス全員の前で土下座させられました。その異様な雰囲気に、泣き出すクラスメイトもいました。僕は土下座させられても構いませんでしたが、友達に怖い思いをさせてしまったことが申し訳なかったです。

それ以上に、こんな教師がいることに対して強く憤りました。「反面教師」という言葉そのまま。生徒が正しいことは正しい、違うことは違うと言えるような先生にならんといかん。そう感じて、将来は教師になることを決めました。

それから、先生にされて嫌だったことと嬉しかったことをノートに書き留めるようになりました。「理想の教師像」を描いていたんです。汚い字の中から「て」にはなまるをつけてくれた先生のように、生徒の良いところを見つけて伸ばせる教師になりたいと思っていました。

教員採用試験不合格。チャンスを待つ


高校は、その頃新設された日本で唯一の専門学科「国語科」がある学校に進学しました。自分が受けていた国語の授業にあまり納得感がなくて、教師になったら国語を担当したいと思っていたんです。

文章っていろんな解釈があるはずなのに、定期テストでは一つの答えが決まっているじゃないですか。その答えを再現できるかどうかが評価基準になっていることに違和感がありました。文章は、100人いれば100通りの解釈がある。そういう授業をしたかったんです。

国語の専門学科だけあって、国語好きの生徒がたくさんいましたし、先生も理解がありました。理想的な授業を提案したら、1カ月ほど授業を任せてくれたこともあります。同級生から「自分なりの解釈を考える前に、『正しい』と言われる読み方を知ることも大切なのではないか」という意見などをもらえたのは、国語の教師になるうえで大きな体験でした。

大学は文芸学が学べるところに進みました。文章の読み方だけでなく、創作する力をつけられる授業をしたかったんです。教職課程も取り、塾の講師もやり、国語の教師になるための準備を着々と進めていました。

ところが、教員採用試験で玉砕しました。僕が試験を受けた年は、就職氷河期のピークで大卒求人倍率が1.0を切り、公務員になりたい教員志望者も増加。大阪の国語科の教員採用試験の倍率は120倍もありました。

つまり、120年受け続けて1回合格になるようなもの。さすがにそれは難しいと思っていたところ、アルバイト先の塾から社員にならないかと誘われました。教員採用試験の様子を見るためにも、一旦塾で働くことにしました。塾の講師として名を上げれば、私立の学校から声がかかったり、いつかチャンスがくるかもしれないと思っていましたね。

勉強を教えるのではなく、勉強を通して教える


就職して2年目に、中学受験を目指す小学6年生のクラスを担当しました。学力は一番下で、成績は悪く「自分なんかだめだ」と思いながら、いやいや勉強をしている生徒が多いクラスでした。

学級崩壊気味なところもあって、2回目の授業で教室に入ったら、ある生徒がおもちゃの木の車で遊んでいました。受験学年としてはありえません。他のクラスだったらみんな小テストの勉強をしていますし、そもそも、おもちゃを持ち込むのは禁止されていました。

注意しようかと思いましたが、僕の「理想の教師像ノート」には、「人間関係ができてない人から叱られるのは逆効果だ」と書いてあったことを思い出しました。

そこで、遊んでいる生徒に近づいて「楽しそうやん」と声をかけました。子どもは怒られると思っていたのでびっくりしていましたが、「この車、みんなのものにしたいからクラスに寄付してや」と聞いたら「いいよ」と言ってくれたので、僕は預かった木の車に「サクセス」と赤い字で書いて、黒板の上に置きました。

この車は君たちの成功だ。みんながテストで頑張ったら前に進めて、頑張れなかったら戻そう。そして、黒板の端まで進めようと。

進めるかどうかは僕のさじ加減ではあったんですけど、一進一退を繰り返していくうちに、クラス全体の空気が変わっていきました。また、同じ教室を使う他の学年の生徒も車が進むのを楽しみにしてくれ、応援メッセージが壁に貼られるようになり、みんなが盛り上がっていきました。

子どもと接するときは、とにかくいいところを見つけたら褒めることを心がけました。生徒たちは自己肯定感が低く、叱られることには慣れていたので。子どもたちと作戦会議をして、苦手な科目は置いておき、まずは好きだったり得意だったりする科目を伸ばすためにどうすればいいか考えました。好きな科目でいい成績を出すようになると、自信がついて、他の科目も頑張るという好循環が生まれるんです。

子どもたちとの面談時間もたくさん取りました。子どもの考えを否定せず、将来何がしたいのか、本当に中学受験をしたいのかなど、とにかく話を聞きました。アドバイスをしたわけではないのに、話すと整理されるのか「何かわかってきた」と言って猛烈に勉強を始める子もいました。ときには、お互い泣きながら話すこともありました。子どもはとても敏感で、こちらの本心を感じてくれて、少しずつ頑張ってくれるようになるんです。

成績が上がると上のクラスにいくのが普通ですが、みんな「このクラスの仲間で受験を乗り越えたい」と言い出して、クラスを変えたがりませんでした。おもちゃの車を動かし続け、上のクラスの平均偏差値を抜くという不思議な状況で受験を迎えました。

結果は、みんなが合格する中、おもちゃの車を寄付してくれた子だけが落ちてしまいました。その夜、彼と二人きりにさせてもらったところ、彼は僕の前で、ただただ泣きました。それを受け止めることが自分の役割。1時間以上、泣いているのをじっと見ていました。泣いて、泣いて、泣き止んだ時、気持ちの整理をしてもらうために、何が一番悔しかったのか尋ねました。

すると、「両親と先生に報いれなかったことが悔しい」と言うんです。それを聞いて、僕も涙が止まりませんでした。受験をサポートする塾の講師として、落ちてよかったと言うことはできませんが、この体験はこの子の長い人生にとっては大きな意味を持つのではないかと感じました。

その子は6年後、大学受験でリベンジをしたと報告に来てくれました。「あの時落ちたから今がある」と話して、中学受験で不合格になった時には考えられないような大学に入りました。

受験は人生の中でひとつの通過点でしかありません。どんな結果になっても、そこで頑張ったことは何かに繋がる。勉強を教えるのではなく、勉強を通して大切なことを教えられることが、チョークを持って生徒の前に立つやりがいでした。

50歳で活躍するための越境体験


塾でのポジションが上がるにつれて、授業以外も任されるようになりました。廃校寸前の校舎で生徒を集めたり、新規校舎を立ち上げたり、全体のマネジメントをしたり、どれも楽しい仕事ばかりでした。ただ、僕のアイデンティティはあくまで良い授業をすること。そのための準備は怠りたくなかったので、休みなく働き続けました。

そんな生活が何年も続くと、次第に、めまいが止まらなくなり、ご飯が食べられなくなり、眠れなくなりました。限界が来てしまったんです。

ある日、授業中に倒れてしまいました。授業も他の仕事も全部楽しいし、全部やれるはずなのにできない。本当に悔しかったですね。

たしかに、時間の制約がある中で授業をすることに、フラストレーションはありました。子どもとの面談時間があまり取れなくて、小さな後悔が積もっていたんです。それに、授業のやり方は上達しているはずなのに、2年目に受け持ったクラスの時のような会心の授業をできていない感覚もありました。

そのままの生活を続けるわけにもいかず、本社の営業企画に異動しました。教室に立てないことに釈然としない気持ちもありましたが、全国の塾を分析したり、全社の広報責任者となって新しいことに挑戦したりするのは面白かったです。

そのうち社長の近くで働くことが多くなりはじめて、社長と自分の間には越えられない壁があることを痛感しました。社長は70歳を越えていましたが、一代で160億円企業を創ったパワフルな人。社長の考えを先回りして仕事をするようにしていたのですが、どうにも通用しないというか、圧倒的に差があるのを感じるんです。

ある会議のとき、社長から「上木原くんはちゃんとしてるだけだなぁ」と言われました。ちゃんとしていることをたしなめられたことに驚きましたが、社長の言葉が妙に腑に落ちました。

子どもの頃「ちゃんとしていない」と言われ続けてきた僕が、いつの間にかちゃんとやるようになっていたのですが、クリエイティブな仕事をする上では「ちゃんとするべきか、しないべきか」を考えて、選択しなければいけなかったんです。

同時に、もっと外の世界を知らなければと感じました。僕は大学生の頃から20年間ひとつの会社で働いてきましたが、社長は「企業寿命30年説」を唱え、いつも「塾がなくなったらお前は何ができるのか」を問い、実際に塾以外にも映画監督など様々なことにチャレンジしていました。

これからの時代を生き抜くには、与えられた仕事をやり続けるのではなく、自ら仕事を創り出せる人間にならなくてはいけない。このまま働き続けていても、50歳になった時には不要な人間になってしまう。そんな直感があり、社長にたしなめられた夜には転職エージェントに登録しました。

転職先は、IT業界と決めていました。僕が社会人になってから20年、一番進んだのはIT業界。次のステップに進むためには必要な挑戦だと感じたんです。教育にはこだわっていませんでした。IT×地方創生でも、IT×エンターテイメントでも、まずはITのいかし方を学びたいと考えていました。

そんな中、ドワンゴという会社が、「IT×教育」で面白いことをやろうとしていると紹介されました。インターネットと通信制高校の仕組みを使って、未来の教育をつくるというんです。そのビジョンに共感して、転職することを決めました。39歳。初めて大阪を離れ、東京に出ました。

僕は、新しい通信制高校「N高等学校」の入学広報を担当しました。教育業界とのスピード感の違いに驚きましたね。それまでは「朝令暮改」はあまり良い意味では使っていませんでしたが、「考え抜いた結果であれば即判断を変えることは必ずしも悪いことではない」と言われて、なるほどと思いました。

転職してから4カ月、2016年4月に無事開校を迎えました。

教師の仕事は人生の伴走者になること


現在は「N高等学校」の副校長を務めています。開校から2年半で生徒数が7,000名を超えたN高の体制強化や、入学希望者に対する広報活動に力を入れています。

N高等学校は、インターネットと通信制高校の制度を活用した「未来の高校」をコンセプトにして作られた学校です。生徒はPCやスマホを使って自分のペースで勉強を進めながら、全日制高校と同じ高校卒業資格を取得できます。ほぼネットのみで完結するコースの他に、校舎に通学するコースもあります。

特徴は、大きく3つあります。1つ目は「ネットでの双方向性学習」。授業が動画で配信されるので、生徒はPCやスマートフォンを使って好きな場所で授業を受けられます。また、双方向性を担保するため生放送で授業を配信。生徒は随時コメントを書き込むことで、先生に質問したり、生徒同士で会話したりできます。

2つ目は「インターネット上でのコミュニティ形成」です。Slackというチャットのアプリを使って、クラスやグループごとにコミュニケーションをしています。クラスごとにホームルームも行っていますし、趣味の合う仲間同士のグループの会話も活発です。

部活も盛んで、例えば、美術部チャンネルには150人以上が登録されています。全日制高校だとマイノリティになる可能性のある部活が、N高だったらマジョリティになれる安心感みたいなものがあるんですよね。通信制高校に来る生徒の中には、既存の学校に馴染めなかったり、中学校でいじめを受けていた子もいます。インターネットの高校において、友達づくり、コミュニティづくりは絶対に必要だと考えていたんです。

3つ目は「リアルな取り組み」です。例えば、ドワンゴが主催する「ニコニコ超会議」の一角に、N高の文化祭のブースを作っています。生徒たちは高校生らしくみんなで思い出の写真を撮ったり、普段はネット上でやりとりしていた友達と初めて会って抱き合ったりします。また、場所にとらわれずに授業を受けられる強みをいかして、企業や地方自治体などと連携し、職業体験にも力を入れています。

正直、現場で生の授業を行っていた頃は、教室の授業がインターネット上の動画で置き換わるなんてありえないと思っていました。しかし、実際にN高が始まって、授業はネットでできることを痛感しました。ネットの授業なら、圧倒的に質が高い授業を、一番前の席で、何回でも受けられるんですよね。それに、技術が進めば、生徒一人ひとりのレベルに合わせた問題が自動で配信されるようになり、教師が「知識を教える」という仕事はなくなります。

そんな未来が訪れた時、教師の仕事は、「生徒一人ひとりの人生の伴走者になること」だと考えています。「こうあるべき」という像を教えるのではなく、一人ひとりが何をしたいのか問い続け、その志を実現する支援をする。それはまさに、寺子屋から始まり、江戸時代末期に吉田松陰が行っていた教育に戻ろうとしているだと思っています。

これから10年間、ITの力で教育は大きく変わり、N高は未来の学校のモデルになると本気で思っています。そこに関わることは、すごく面白いですね。N高は、生徒と教員に必要な「二つの時間」を取り戻せるのではないかと感じています。

一つは、生徒にとっての「自分の時間」です。今は、好きなことがあっても突き詰める時間はあまりありません。通信制高校の制度を利用して、自分の好きなことを考えたり、実践したりする時間を作ってほしいと考えています。

もう一つは、教師にとっての「生徒と向き合う時間」です。教師は仕事が多すぎる。ITの力を使い、教師がやるべき仕事と、他の人や機械にやってもらう仕事を棲み分けて、生徒に「今忙しいから」と言わなくて済むようにしたいんです。

これからの時代、誰かが決めた「ちゃんとしたこと」をできる人だけが、社会で活躍できるとは限りません。むしろ、多様な人が、それぞれの強みを発揮する社会になると思います。学校を、子どもたちがワクワクしながら、自分の良いところを見つけられる場所にする。そのために、「ちゃんとしない」をちゃんとやるのも、時には大事だよと伝えていきたいです。

2018.09.03

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