ゴミと戦争の無い世の中を作りたい。 離島での循環型生活を通じて伝える想い。

五島列島で製塩事業を行いながら、島の内外の子どもたちが参加するキャンプなどの運営を行う小野さん。横浜で生まれ、東京で就職しながら、26歳で移住を決めた背景とは。「ゴミと戦争の無い世の中」を目指す小野さんにお話を伺いました。

小野 敬

おの たかし| 製塩・環境教育
五島列島の清澄な海水を鉄釜と薪でじっくり焚き上げた「手塩」の製造販売を行うかたわら、くらしの学校「えん」として、島の内外の子ども達が参加する自然体験「しまキャンプ」などの運営を行う。

ひとり旅の魅力を知る


神奈川県横浜市で生まれ育ちました。2つ上に兄がいます。優等生な兄に対して僕はひょうきん者でいたずら好き。明るくて活発な性格でした。

小学1年生の時、兄の影響で野球を始めました。全国大会に出場するようなリトルリーグのチームでキャプテンを務め、将来はプロ野球選手を目指していました。

しかし、中学に入って肘を壊してしまったんです。周りに自分よりうまい選手がいたこともあって、プロを目指すのは諦めました。見限るには判断が早い部分もありましたが、ヘコんだりはしませんでしたね。高校からはバスケットに転向しました。

高校生になり、将来は物書きになりたいと考えるようになりました。単純に本を読むのが好きで、小説家になりたかったんです。周りは就職する人が多い環境でしたが、まだ仕事をしたくないと思い、大学進学を決めました。親からは浪人をさせられないと言われていたので、高3から急激に勉強をしましたね。

なんとか現役で大学に入学してからは、テニスサークルやアルバイトばかりで、授業にはほとんど出席しませんでした。自分のやりたいことに時間を使っていましたね。

大学の途中からは、旅にのめり込みました。兄がアメリカやブラジルに行っていたことに影響を受けたんです。あまり海外に行く人が多くない時代です。僕も行ってみたいなと憧れました。

大学3年の時、兄の様子を見にアメリカ・ブラジルに行って衝撃を受けました。グランドキャニオンの雄大さや、ブラジルの日系人が暮らす村で出会った野生児みたいな人々。自然と一緒に生きている子どもたち。すごいなと思いましたね。カルチャーショックです。

そこでひとり旅の良さに気づきました。明日何をするかわからない。レールが無いのがいいなと。海外だけでなく、国内も北から南まで歩き回りました。

大学卒業後は、先物取引の会社で営業として働きました。いつかは物書きになりたいから、会社を3年で辞めようと決めていました。そんな背景もあり、あまり真面目に考えて選択した訳ではありませんね。とりあえず新しい世界に飛び込んでみる感覚でした。

五島で出会った自給自足生活と塩作り


先物取引の営業では、1日200件くらい電話して金を売る仕事をしていました。色々な世界の人と話すのは面白かったですね。同期の中では比較的良い成績を収めることもできました。

一方で、上司と全く合わないという悩みもありました。満員電車も性に合わず、東京でのサラリーマン生活は合わないなと思いましたね。

結局、約1年働いて3月で退職し、とりあえずインドに行くことにしました。ブラジルで出会った人がみんなインドを勧めるんです。実際に行ってみると、とにかく街がカオスで、毎日が刺激的でした。

1ヶ月ほど滞在した後は、国内を転々としました。北海道の礼文島でユースホステルに泊まりながら働いたり、沖縄で鉄筋工をしたり、いい所があったらずっと住みたいなと考えていました。特に、都会で育った影響もあり、自然豊かな環境での暮らしや、自給自足生活に憧れを抱くようになりました。

帯広では冒険家の植村直己さんのキャンプにも参加しました。歩いていると声をかけられ、誘ってもらったんです。子どもが対象のキャンプで、僕たちはスタッフとして参加したんですが、面白かったですね。

それまで一人で山を登ってキャンプをしていたので、一緒に喜び合えるというのが初めての経験でした。子どもが何か達成して喜んでいる顔や、よく頑張ったと言って喜んでいる表情を見て、やりがいを感じました。

その後、父が亡くなったことで横浜に戻ることになりましたが、そこでも子ども向けキャンプのボランティアは続けました。移住先探しも続けて、最終的には川下りができる環境に住みたいと思い、長野に住むことに決めました。

移住のための手続きを進めながら、せっかくなので最後に九州に旅をすることにしました。行き先は長野県の五島です。知り合いが自給自足生活をしているということで、見てみたいと思ったんです。

島に着いて2日目に、塩を作っている方に知り合いました。たまたま僕が居候させてもらっている家に飲みに来ていて。で、その場ですぐ意気投合したんです。翌日塩作りを見に来いって言ってもらえて。次の日行ってみるともう一人の方と塩作りの様子を案内してくれて、「塩作りを産業にしたいから、一緒にやらないか」って誘ってもらいました。

「はい、お願いします」って、もう二つ返事でしたね。実際に自給自足生活をしてる人がいて、自分にもできる感覚があったのと、塩作りには初期投資がかからないんです。ビジネスとして成り立つイメージが持てました。進めていた長野の話を取りやめ、迷わず五島への移住を決めました。26歳のことでした。

自然の暮らしを子どもに伝える学校


実際に移住することになっても不安はなく、ワクワクの方が大きかったですね。廃屋を1年間1万円で借りて、林の中に道を拓いて、水道が来ていなかったので水を引いて、生活環境を作るところから始めました。

最初は失敗ばかりでしたね。塩作りもなかなかうまくいかず、手持ちの資金は数万円だけ。犬をもらって来て一緒に暮らしていたので、「犬のために」ともらったパンの耳を自分で食べることもありました。寝る間も惜しんで家づくりや塩のための釜戸作りをして、農業も始めました。

なんとか注文がくるようになったのは、塩作りを始めたことを知り合いに新聞形式で発信してからでした。住所を知っている人に片っ端から送ってみたら、たくさん注文が来たんです。家族を含め、人に支えられましたね。嬉しかったです。とにかく寝ないで仕事をしました。その後、融資を受けて釜戸を増やして、1日4、5キロまで作れるようになりました。

島で暮らす中で、学校を作りたいと考えるようになりました。自分がしている自然の暮らしを子どもたちに伝えていきたいと思ったんです。僕自身、東京から移住して自然暮らしをして見て、都会の暮らしにないものがあるって確信していたんです。それを誰かに伝えたいなって。

ちょうど、文部科学省の委嘱事業で「子ども長期自然体験村」という環境教育事業の募集が出ていたので応募してみると、審査が通って予算をつけてもらうことができました。そこで、暮らしの学校「えん」を立ち上げて、子ども達と一緒に、街の中ではできないキャンプを始めることにしたんです。

「しまキャンプ」と名付けたキャンプの初回は、廃屋があるだけの場所で役場からテントを借りて簡易な設備で始めました。子ども6人に対して大人のスタッフが11人、食べるものは絶対に自分たちで作る、大人は手を出さないというルールで14泊の体験でした。

食材は与えられるものの、調理をするのに時間がかかるので、一日中ご飯を作るっていましたね。空いた時間には海に入ったり、ゴミを集めたら野菜と交換できる「ゴミ貨幣」という制度を作ったり。何かを変えるためにやった訳ではなかったですが、子どもたちがたくましくなり、自分たちのことを自分たちでするようになるのは嬉しかったですね。

情熱と背中で伝えていく


今は塩作りをしながら、くらしの学校「えん」の運営をしています。塩作りは鉄釜を使って薪で燃やしているので、味がふっくらふわっとするのが特徴です。お客さんは飲食店や自然食品店が半分、もう半分が個人で、ほとんど口コミで販売しています。

くらしの学校「えん」では、春5泊、夏7泊のキャンプを運営していて、島の内外両方の子どもが参加します。島の子だからといって田舎暮らしをしているわけではないので、島内の子も大分来るようになりました。

大切にしているのは「自分たちのこと自分たちでする」ということ。適応力が高い子どものうちに色々な経験をすることで、社会性や忍耐力を身につける場になればと考えています。

今の暮らしをしていて感じるのは安心とか安定です。お金に頼らず本当に循環している生活なので、例えばこの家さえあれば何があっても今のまま暮らせるんです。お風呂は薪で焚くしご飯も外の薪で炊く耐性があるし、お水もあるし、電気ガス水道が止まっても大丈夫な生活ですね。

やっぱり、人間って最終的には自然の一部じゃないですか。自然の一部として生きていくっていうのが本当は普通だと思うんです。都会が異常なだけで、こういう暮らしをしてると、やった人じゃないと分からないかもしれないけど、本当に落ち着く。

やっぱり、浮き足立ってない。ちゃんと地に足ついた生活だから、落ち着いて暮らせるんです。

島に来て5年ほど経った頃に結婚して子どもにも恵まれました。息子ができてからさらに視野が広がった感覚がありますね。僕の夢として、「ゴミと戦争のない世の中を作る」というものがあります。キャンプをしたり循環する暮らしをしているのは、その夢のためなんです。

ゴミとは、土にならないもの。廃材を燃やして塩ができるように、ものは捉え方次第でゴミじゃ無くなります。100%は無理でも、なるべく土に還らないものを除いた生活をしたいですね。

もう一つの戦争がない世の中というのは、心穏やかに地に足をつけて暮らせる社会のこと。循環型の生活で一人一人の心身に安定を生むことで、奪い合いから抜け出すことができるんじゃないかと思います。あとは、美しいものをたくさん見ることですね。本当に美しいものを見ることが穏やかな気持ちを作ることに繋がるんじゃないかと思います。

子どもと一緒に田植えをしたり稲刈りをしたり、段々畑から海を眺めたり。ふとした瞬間に幸福を感じます。今後は、僕がしているような自然暮らしをする人が増えて欲しいなと思います。

このままじゃ地球が継続しないから何かを変えなきゃいけないんです。特に、子どもたちが将来立ち帰れるような原体験を作ってあげたいですね。目を閉じた時に思い出すような、五感に刷り込まれるものというか、帰る場所というか、そんなものを作りたいです。

今はもう物書きになりたいという気持ちはないですね。何かを書くというよりは、かっこよく言えば、生き様を見てほしい。教えるのではなく伝える、ですね。自分の情熱と背中で伝えていきたいです。

2018.07.16

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