全世界どこにいても。 必要としてくれる人と一緒に働きたい。

フリーランサーとして、食を中心としたさまざまなプロジェクトにかかわる田(でん)さん。理想のライフスタイルを実現するため、15年のサラリーマン人生に終止符をうち、働き方の実験をしていると言います。田さんが目指す理想のライフスタイルとは。お話を伺いました。

田 美智子

でん みちこ|全世界どこにいても声がかかる働き方を実現する
フリーランスとして食の分野を中心に様々なプロジェクトを展開。「FOODIT TOKYO 2018」プロデューサー。7月末からPRのコミュニティ「でんこラボ」主宰。株式会社トレタ PR。株式会社CAMPFIRE広報アドバイザー。趣味は野球観戦と旅行。

自分の意見をはっきり持つ


北海道石狩市で生まれました。小さい頃から、自分の意志をはっきり主張する性格でした。迷うことなくすぐ決めるので、学校ではわりとリーダー的なポジションに推薦されることが多かったです。

はっきりとした性格になったのは、オタク気質な親の影響が強かったと思います。両親とも、こだわりが強くて好きなものがはっきりしていました。たとえば、母親は食に対するこだわりが強く、添加物や農薬が使われていないオーガニックの食材や調味料にこだわっていました。父も食に関心があって、ビールやソーセージを自宅で自分で作ったりしていましたね。また父がMacintoshオタクだったのでなんとなくITへの興味も持つようになりました。

父は家を建てるときもこだわりがあって、自分で図面を引いていたそうです。父の部屋にある建築系の本を読むうちに、わたしもインテリアや空間デザインに興味を持つようになりました。

なかでも、私は百貨店の空間や商品の魅せ方が好きで、高校生になると学校帰りに毎日のように通っていましたね。先取りされた季節のモノを見るのがすごい楽しくて。華やかで、トレンドのモノやおしゃれなモノが並んで、きらきらしてるのがいいなと思っていました。

大学は建築を学ぶ空間デザインコースに入りました。ただ、大学ではあまり勉強せず、写真サークルの活動とアルバイトばかりしていて、そのうち自分で稼ぐのが楽しくなってきてしまって。はやく自分の稼いだお金で生活したいと思っていたので、就職がとても楽しみでした。

大学卒業後は、好きだった百貨店の空間デザインをするため、大手の百貨店に就職しました。販売員から経験を積み、将来はビジュアルマーチャンダイジングの仕事をしたいと考えていました。

人と向き合って仕事をする


始めは、販売員としてリビング用品売り場でバス・トイレタリーの担当になりました。なんで百貨店に入ったのに便座カバーを売っているんだと思い、親や友達になんて言おうかと恥ずかしかったです。私だって花形店舗でおしゃれなアイテムを担当したかった。同期が羨ましくて、とても悔しかったです。

でも続けるうちに任せてもらえる仕事の幅が広がり、自分で提案したアロマのコーナーを広く展開させてもらえたり、商品の買い付けにも行かせてもらえたりするようになりました。老舗の百貨店でもこんなに自由にいろんなことを任せてもらえるのか!と感動しました。

仕事を続けるうち、一期一会のお客様に商品を薦める販売員より、もっとじっくりと作戦を立てて、自分から売り込みにいくような営業がしたいと考えるように。そこで、3年経った頃、店舗での販売担当から、法人外商部に異動することにしました。その頃にはもう空間づくりをしたいという思いはすっかり消えていました(笑)。

法人外商部の仕事は、お客様企業が必要とする商品を調達してお届けするのが主ですが、場合によっては重役の方の個人的な買い物にお付き合いすることもありました。異動後しばらくすると、ある会社の会長さんに気に入られ、いろいろ依頼されるようになりました。例えばホワイトデーのお返しの商品選定。貰ったプレゼントの10倍くらいするハイブランドのものを指定されました。自分では入ったこともないようなお店で何十人分ものアイテムを選び、紙袋をいくつも抱えてブランドショップが立ち並ぶ通りを歩く。プライベートでは絶対にできないお買い物をたくさん経験させてもらいました。

ある時、また別のお客さまが絨毯を買いたいと言われたので、良さそうなものをピックアップし、値段とスペックを説明してどれを購入するか聞きました。すると、「僕に値段の話をしないで!」と怒られてしまいました。その方は値段ではなく、そのモノの質の良さについての説明を聞き、自分の感覚で選びたいと言われたのです。金額ではなく、お客様がモノの良し悪しを判断するための情報をもっと提供できなければならないと教えてもらいました。今でも価格と価値のバランスや、人それぞれが何を大切に、何を価値だと思っているのかを考えるような癖がついています。

お客様と外商担当者という枠を超えての付き合いが生まれることもありました。年配のお客様が入院した時は、パンツやパジャマから大好物のバナナまで全部百貨店で揃え、足りないものは違うお店で買い物して、病室まで届けていました。普通はそこまでしませんが、「買い物してくれるお客様だから」ではなくて、人としてすごく尊敬しているから、もうこの人のためなら仕事の範囲を超えることでもしたいと思ったし、すでに気づいた時にはやっていたんですよね。

逆に、私の母が倒れたときには、心配して連絡をもらったりしました。しかし、その方はその後亡くなられてしまったのですが、近親者だけの葬儀であるにも関わらず、私にもお声をかけてもらいました。外商担当者とお客さんという関係を超えた付き合いを経験する中で、人と向き合って仕事をすることの面白さを味わいました。今はその方が私の守護霊になっていると勝手に信じています(笑)。

おいしい野菜を販売する仕事がしたい


仕事にやりがいがあり、働いている人も良い人ばかりで、会社が大好きでした。ただ、4年営業をしてそろそろ次のステップに行く頃かなと感じ始めていました。実は50人の部署で女性は私一人の環境で、周りはおじさんばかりだったのでちょっと若者と働きたいという気持ちもありまして(笑)。

それに、百貨店の仕事をやりきった満足感もありました。家と車と仏壇以外はなんでも売ったと思います。1個50円のおまんじゅうから介護用品にエルメスのバーキン、カッシーナの家具に絵画まで。文字通り、「百貨」以上は売りましたね。

そんな背景から、7年目に入った頃、退職を決意しました。次の仕事では何を売りたいか考えた時、直感的に「おいしい野菜、体に良い野菜を売りたい」と頭に浮かびました。また、百貨店時代にいろんなことがアナログだったフラストレーションがあったので、IT企業に行きたいと考え、オーガニック野菜を中心とした食材販売サービスを提供するベンチャー企業に入りました。母がオーガニック野菜にこだわっていた、幼少期の体験の影響があったのかもしれません。

転職先ではウェブマーケティングやロジカルシンキングを一から学ばせてもらうことができ、新たなスキルを身につけることができました。また、SNSの担当を勝手にやり始めてからは、お客さんからたくさんリアクションをいただけるようになり、他の企業の人とも交流をしたり、IT企業としての仕事を堪能していました。多くの人に出会うことができ、本当に楽しい日々でした。

その後、新規顧客獲得の担当となり、アライアンスやアフィリエイトなどで新規提携先を開発。たまたまですが、目標の3倍近くの成果が出せ、成功体験ができ、充実した気持ちでした。しかし、人生甘くないですね、今度はその達成した数字を上回るノルマができてしまい、最終的にとても苦戦しました。目標ってなんなんじゃ!と一人で悔しくて地団駄踏んでいました。

その後部署を異動して、デリコーナーがあったりする新しい形の八百屋を立ち上げるチームに入りました。一流のブランディング事務所の優秀なメンバーと協力し、オープン日に大行列を作ることができ、メディア露出も多数獲得できました。しかし、店舗現場のマネージメントは心も体もきつかったです。もともと、ディレクターとして店舗の立ち上げをやり続けていくとイメージしていたので早朝から深夜まで一日中立ち仕事をするのはしんどかったですし、1日2時間睡眠で働き、夜中まで一人で泣きながら皿洗いをしたこともありました。

結局、思うように売り上げは上げられませんでしたし、改善の方法も自分ではわかりませんでした。相談できる人もいない状況だったので、これは今の私にはもうこれ以上がんばってもどうにかできることではないと感じ、辞めることにしました。できないことは、できないんだと割り切ったんです。

苦しくなくてもいいんだ


次に入った会社は、飲食店向けの予約管理サービスを提供する社員10名ほどのベンチャーでした。元々社長が同じ食に関わる業界の知り合いで、ブログをずっと読んでいて気になっていたし、具体的にサービスの説明と未来構想を聞いたとき「これはいける」と、すごくワクワクしたんです。飲食店の予約管理はアナログで行っていることが多いのですが、このサービスがあれば店舗の生産性が上がって、一歩先のステージに進むためのお手伝いができると感じ、入社を即断しましたね。

当初はWEBマーケティング担当として入社し、のちに広報となりましたが、人が少ないので、会社に必要なことはなんでもやりました。広報としてはどうやって会社の知名度を上げるか毎日必死で考え、ありとあらゆることをやりました。その中の一つに「社長観察ブログ」がありました。社長の様子を届けることで会社のことを知ってもらえるとは思っていましたが、最初はちょっとしたお遊びブログみたいな気持ちだったんです。

しかし、これが予想以上の反響でびっくり。はじめはベンチャー界隈の広報や友人から読んでるよと言われる程度でしたが、そのうちIT界隈の経営者や投資家さん、社員の家族や競合企業にも読まれるようになりました。組織がどんどん大きくなっていく中で、社長がなんだか楽しそうにやっていることや、会社の雰囲気などがわかることが良かったみたいです。社長をここまで使い倒す広報がこれまでいなかったというのもあとで知りました(笑)。また、お客さんも読んでくれていて、クレームがあって社長が謝りに行ったとき、ブログのファンだったから円満に終わったこともありました。さらにブログがきっかけで、会社がテレビにも取り上げられました。

ブログを書いてるだけで、自分ではとてもできないような摩訶不思議なことがいろいろ起こるのが面白かったです。しかもそれが努力してとか、苦労してとか、つらい思いをしてとかじゃなく、楽しくやった結果、良いことがどんどん舞い込んでくるので、なんて楽なんだろうと思いました。同時に昔の辛かった時代をやっと乗り越えることができたと実感することもできました。あの時、無理に続けなくてよかった。自分らしく、楽しく働けていることが本当にうれしかったです。

その後も広報担当として、SNSやブログでの情報発信を続けました。会社も成長して、入社して4年経つ頃には、社員が120名程になりました。規模が大きくなるに連れて、自分の中である程度やりきった感覚が生まれました。また、会社はより大きな成長を掲げて、次のステージに向けて進み続けていましたが、会社の目標が私の人生の目標ではないよなぁと思うようにもなりました。会社への愛着は強かったのですが、自分の道を考えてみてもいいのかなと。

どういう道を行きたいか考えたら、好きな場所で働きながら、自分を必要としてくれる人と自由に仕事をしたいと思ったんですよね。ちょうどその頃、他の会社からも一緒に仕事をしないかと声をかけてもらえるようになっていて。それなら会社を辞めて、自分の理想のライフスタイルを確立することができるか、実験してみたいと思ったんです。サラリーマンを15年もやったので、もういいかなという気持ちもありました。そこで、4年働いた会社をやめて、フリーランスとして働き始めることにしました。

理想の働き方を手にするための実験


現在は、フリーで食関係を中心にいろいろな仕事をしています。たとえば、外食産業の未来を考えるカンファレンスの企画・運営を行ったり、飲食店が抱える予約のドタキャン問題の解決策を検討したりしています。営業が好きなので、実は紹介代理店をやったりもしていますし、この間は近所の飲食店でアルバイトもしました(笑)。広報に限らず、興味があることはどんどんやりたいですね。

ただ、仕事ばかりしているわけではありません。仕事の時間はこれまでよりは少し減らして、旅をしたり、野球観戦に行ったり、自分の好きなことに時間を使うことを大事にしています。

会社をやめたときは、10年後、20年後に理想の働き方を実現するための実験のつもりでしたが、現時点ですでに理想に近い働き方ができています。魚関係の仕事をしたいとブログに書いたら漁師や寿司屋、海の家から声がかかったり、旅先で出会った人から仕事の依頼をもらったり。大学時代からの友人とベンチャーを立ち上げようと計画したり。現時点ですでに理想と近い働き方ができています。

私が、キャリア的に理想だと思っているのは、全世界どこにいても「一緒に仕事をしよう」と声をかけてもらえる状態でいることです。例えハワイにいてもスペインにいても、「田ちゃん、こんな仕事あるんだけどやらない?」と声をかけられるようになりたいのです。今後も、職種や領域にこだわらず、全国全世界どこにいても、声がかかるようになればいいなと思っています。

2018.07.09

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