大阪府堺市で生まれました。幼少期のあだ名はトラブルメーカー。学校ではいろいろな問題を起こし、枠にはまるのが苦手で、先生からよく怒られていました。

周りからは不真面目な人間だと思われていましたが、性根は真面目なところも多かったように思います。学校には無遅刻無欠席でしたし、弱い者いじめもしませんでした。むしろ、不登校の子を毎朝迎えに行ったり、いじめられている友達がいたら助けて、いじめる子と喧嘩していましたね。

それは、母の影響が大きいと思います。母は熱心なクリスチャンで、僕も小さい頃から毎週教会に連れて行かれていました。知らないうちに、キリスト教の教えが染み付いていたのかもしれません。また、「お天道さまが見てるよ」というのが母の口癖で、そのことを純粋に信じていましたし、常にお天道様が見ているという前提が僕の中に根付きました。

中学では野球部に入部しました。僕以外はほとんど経験者でしたが、1年生からベンチメンバーに選ばれ、背番号20番をもらいました。練習を一度も休まず、誰よりも大きな声を出していたことが認められたんだと思います。やはり、お天道様が見てました(笑)。生活の中心は野球で、とにかく必死に打ち込んでいました。

しかし、中学2年生の終わりに、父の仕事の影響で突然引っ越さなければならなくなりました。最初は、引っ越しなんてなんともないと思いました。むしろ、どんな生活が始まるのか楽しみですらありました。しかし、引っ越してみると、これまで大切にしていたものが突然奪われたような気がして、喪失感が大きかったです。付き合っていた女の子や、ずっと仲が良かった地元の友人とは離ればなれ。朝から晩まで練習に打ち込んでいた野球は、集大成となる最後の大会に出場できず、観客席から自分が元いたチームが県大会で優勝する姿を見守りました。

新しい学校には馴染めず、一部の不良グループとつるむようになりました。学校はさぼりがちになり、どんどんグレていきました。15歳で家を飛び出し、バイクに乗って20キロ離れた地元に帰り、ホームレスになりました。友だちの家を転々としたり、外で寝たりする生活です。家にはほとんど帰らず、暴走行為や遊びに明け暮れていました。