未来の子どもたちの笑顔のために。 サステイナブルビジネスを大量生産する。

「ともに幸せになる。地球の未来をつくる。」という理念を掲げ、誕生日ギフトやカフェなどの事業を手がける後藤さん。19歳で起業した会社を成功させ、欲しいものは何でも手に入る生活を送っていたものの、当時は心から幸せを実感することができなかったと言います。葛藤の果てに見つけた幸せの形とは。後藤さんが目指す理想的なビジネスの形とは。お話を伺いました。

後藤 将

ごとう まさし|サステイナブル・ビジネスを大量生産する
ムトナ株式会社代表取締役社長。19歳で営業代行会社を創業し、6年後にはJust Smile!!運動を開始。2012年に世界経済フォーラムのGlobal Shapers Communityに選出され、2016年度Osaka Hubのキュレーターを務める。現在は「サステイナブル・ライフ・デザイン」や「サステイナブル・ワーク・デザイン」をテーマに、誕生日サービス「ONE BIRTHDAYS」を始め、いくつかの事業を推進している。

15歳でホームレスに


大阪府堺市で生まれました。幼少期のあだ名はトラブルメーカー。学校ではいろいろな問題を起こし、枠にはまるのが苦手で、先生からよく怒られていました。

周りからは不真面目な人間だと思われていましたが、性根は真面目なところも多かったように思います。学校には無遅刻無欠席でしたし、弱い者いじめもしませんでした。むしろ、不登校の子を毎朝迎えに行ったり、いじめられている友達がいたら助けて、いじめる子と喧嘩していましたね。

それは、母の影響が大きいと思います。母は熱心なクリスチャンで、僕も小さい頃から毎週教会に連れて行かれていました。知らないうちに、キリスト教の教えが染み付いていたのかもしれません。また、「お天道さまが見てるよ」というのが母の口癖で、そのことを純粋に信じていましたし、常にお天道様が見ているという前提が僕の中に根付きました。

中学では野球部に入部しました。僕以外はほとんど経験者でしたが、1年生からベンチメンバーに選ばれ、背番号20番をもらいました。練習を一度も休まず、誰よりも大きな声を出していたことが認められたんだと思います。やはり、お天道様が見てました(笑)。生活の中心は野球で、とにかく必死に打ち込んでいました。

しかし、中学2年生の終わりに、父の仕事の影響で突然引っ越さなければならなくなりました。最初は、引っ越しなんてなんともないと思いました。むしろ、どんな生活が始まるのか楽しみですらありました。しかし、引っ越してみると、これまで大切にしていたものが突然奪われたような気がして、喪失感が大きかったです。付き合っていた女の子や、ずっと仲が良かった地元の友人とは離ればなれ。朝から晩まで練習に打ち込んでいた野球は、集大成となる最後の大会に出場できず、観客席から自分が元いたチームが県大会で優勝する姿を見守りました。

新しい学校には馴染めず、一部の不良グループとつるむようになりました。学校はさぼりがちになり、どんどんグレていきました。15歳で家を飛び出し、バイクに乗って20キロ離れた地元に帰り、ホームレスになりました。友だちの家を転々としたり、外で寝たりする生活です。家にはほとんど帰らず、暴走行為や遊びに明け暮れていました。

稼げればそれでいい


1年くらいフラフラしていましたが、悪さばかりしていることや不良同士で喧嘩をするのに嫌気がさし、路上ライブで日銭を稼ぐ暮らしを始めました。ストリートミュージシャンがブームだったこともあり、ラジオが取材にきたり、テレビ出演の話などもありました。

しかし、すぐにお金にはなりませんでした。ライブを見に来てくれていた女の子と付き合い始めたのですが、彼女とデートをするにもお金がありません。

このまま、音楽活動を続けてプロのミュージシャンになるのか。それとも就職するべきか。迷いましたが、そのままでは彼女の親に挨拶へも行けないという理由で就職することにしました。

求人サイトで「17歳、未経験、寮付き、日給1万円以上」と打ち込み、1件だけヒットしたジュエリーの販売会社に就職しました。配属されたのは完全歩合制の営業。社長には「頑張った分だけ全部自分に返ってくる」と言われましたが、給料がゼロのこともありえます。社内には、稼げる営業マンとそうでない営業マンとのヒエラルキーが存在し、結果を出せていない社員に明らかに冷たい視線が送られていました。

一方で、売れる営業マンは相当稼いでいましたね。入社して最初の給料日、トップ営業マンが給料袋から取り出した分厚い札束を数えている姿を見て、衝撃を受けました。自分も頑張ればあれだけ稼げるんだとワクワクしましたね。

一番稼いでいた先輩の営業トークを録音させてもらって、毎日聞きました。休日はひたすら商品の勉強。誰とも遊ばず、夢中で仕事にだけ集中し続けた結果、4カ月目に社内でトップセールスになりました。それからも、努力したぶんだけ、売り上げも給料も右肩上がり。何でも買えるし、どこでも行けるし、充実した生活を送りましたね。

お金以外の面でも、仕事は楽しかったです。自ら顧客を開拓して、ショールームや展示会に来ていただき、商品の必要性や魅力を伝える。その後の発注や納品、アフターケアまでを全て自らワンストップでこなす会社でした。自分が努力したぶんだけ、お客さんの喜びは増えて、対価が返ってくるのが、たまらなく嬉しかったです。

売上を作るために生まれたんじゃない


ただ、しばらく働くうちに、「売上順に人の評価が決まる」ことに違和感を感じ始めました。 僕は、社内で一番評価の低い人、いわゆる売上が低い人ととても仲良くしていました。ほっとけなかったんですよね。人間的にはとてもいい人なのに、売り上げを作れないからといって、ひどい扱いを受けていました。「人間は売り上げを作るために生まれてきたわけじゃない。」と憤りすら感じていました。

みんなそれぞれ個性があって、営業が苦手なら事務や企画やデザインなど、別のことで活躍できるはず。もっと一人ひとりの個性が発揮できる会社を自らつくれないのか。そんな思いでした。

また、独立すれば、それまで自分が不満に思っていた品質やデザイン、企画、ブランディングなどを、全て自分の思うようにすることができる。そうすれば、お客さんの喜びももっと増える。そんな思いから、19歳で起業することにしました。それまでの業態の良さを活かしながらも、デザインや企画力を強みに、みんなが自己実現できる会社を目指していました。

成功だと思っていたことは幻想だった


事業は順調で、初年度から売り上げは1億円以上。ショールームにネイルサロンを併設。同時期にインターネット通販も開始。急成長を続け、スタッフは40人ほどに増えました。高級マンションを転々とし、高級車を次々乗り換え、信じられないような金額を飲み代に使っていました。欲しいものは何でも手に入るし、周りからもすごいと言われる。自分がそれまでに描いていた「成功」のイメージを実現したと思います。

しかし、心がまったく満たされませんでした。お金はどれだけ稼いでも終わりがありません。欲を満たしても、すぐに次の欲が湧いてくる。それどころか、いつの間にか、前の会社で違和感を感じていた「稼げるやつが偉い」という考えに、自分が陥っていました。

愕然としましたね。何のために起業したのか。何のためにお金を稼ぐのか。何のために生きるか。そんな疑問が頭の中をぐるぐる回り、24歳にして会社にほとんど行かずに引きこもるようになりました。何のために会社を経営するのか、そもそも何のために働くのかが、わからなくなってしまったんです。

世界中の子どもを笑顔にしたい


生きる目的を見失って1年ほど経つころ、子どもを授かりました。生まれた時から本当によく笑う子でした。子どもの笑顔を見ながら、自分の命よりも大事な存在に初めて出会えたと感じました。

それからは、ただただ子どもの笑顔が見たくて、あの手この手で喜ばせようとしました。ドライブしたり、おもちゃを買って、仕事を早く切り上げて家に帰るようになったりしました。そうやって喜ばせようと行動している時が、今まで体験したことがないくらい心が満たされていることに気づきました。

自分のために何かをしている時は満たされなかった心が、人を幸せにしたいという一心で行動すれば、どんなに小さなことでも幸せを感じられるということに気づきました。人を幸せにすることで、自分も幸せでいられるんだと。そんな当たり前のことに気づかず、自らの欲望を満たすことで幸せになれると勘違いしていた自分の小ささに気づきました。

同時期、創業当初からお世話になっていた人が癌で亡くなり、命の誕生と終わりについて考えるようになりました。自分もいつか死ぬんやなって、初めて意識しました。

明日死ぬかもしれないと思う一方で、日本人の平均寿命まで生きたら、あと55年ある。その55年という時間に、大きな可能性を感じました。55年前の日本といえば、太平洋戦争が終わって間もない頃で、一家に一台テレビがあるのも当たり前ではなかった。それが、たった55年で、テレビどころか、スマホやPCを持っていることが当たり前になっています。

55年間、いろんな人のいろんな気持ちが重なって今の社会ができてきたことに感謝し、幸せだと思いました。僕が娘との幸せを見つけられたのは、先人が今の社会を作ってくれたから。ということは、僕にも、もし仮にあと55年の時間が与えられてるとしたら、その一生をかけて成し遂げたい志について考えました。そのとき、55年間何かに打ち込めば、きっとどんなことでも実現できるし、すごい世界を作れるんじゃないかと胸が熱くなって。残された時間の可能性に心が震えました。

じゃあどんな55年後を作りたいかと考えた時、今の世界への違和感も強くなっていきました。年間3万人以上が自殺し、300万人以上が精神疾患で病院に通っている日本。世界ではテロや戦争が絶えない。途上国の子どもたちの食料や水が足りないのに、大量の食料を廃棄し、容量以上の水を消費して作ったペットボトルの水を買う先進国の僕たち。

残された人生を通じて、世界中の子どもが笑顔で生きられる世界にしたいって思いました。自分が子どもを自分の命よりも大切な存在だと思えたように、子どもにもいつか同じように大切な存在ができ、その気持ちは世代を超えてずっと繋がっていく。自分の命より大切な存在が笑顔で幸せに生きられる。そんな社会を作りたいと思いました。

自分の生き方は、誰かに影響を与える


まずは、自分のネイルサロンの社会貢献として「笑顔募金」というプロジェクトを開始しました。「あなたが笑えばあの子が笑う、あの子が笑えばみんなが笑う。」というコンセプトで、一人のお客さまの笑顔につき50円を笑顔基金として集めて、世界中の子どもを笑顔にする活動を応援するという内容でした。自分が生きているだけで、必ず誰かに影響を与えていて、自分の生き方が地球の裏側まで繋がっているという心を共有したかったんです。

その後すぐに、「Just Smile!!」という団体を立ち上げました。笑顔募金を、自社以外のヘアサロンやネイルサロンなどとの共同プロジェクトにするためです。参加店舗みんなで顔基金として集め、学校づくりや、森づくり、被災地の復興支援活動など、世界中の子どもたちを笑顔にするために活動するNPOやNGOに寄付しました。

協力店舗は3ヶ月で150店を越えました。誰かのことを思って行動することは幸せで、そういうことをみんながやりたいんだと気づきましたね。活動を始めて1年で200社以上が参加してくれて、メディアなどの関心も高かったです。

しかし、「Just Smile!!」に夢中になればなるほど、会社の収益は大きく下がり、社員は次々に辞めていきました。多い時には40人ほどいた従業員が、5人くらいまで減りました。コンセプトに共感していることで精神的な満足はつくれていても、物質的には厳しい生活をさせてしまっていました。

そして、果てしなく遠い世界中の子どもを笑顔にしたいという夢に、僕が本気になりすぎて、一人ひとりの社員の気持ちよりも目的達成を重視したマネジメントに、みんなのモチベーションが持ちませんでした。自分は人々を笑顔にする事業をやっているだけで幸せでしたが、ある意味独善的で、従業員や関わる人の物心両面の幸せを考えられていたわけではなかったんです。そこで、「Just Smile!!」の割合を減らして、半分くらいの時間は収益性のある事業に力を割くことに。もともと強みだった営業力を活かし、インターネット広告の販売と制作をしました。

しかし5年ほどやり続ける中で、社会を良くするための事業と売上をあげるための事業とがわかれている状態に疑問を感じるようになりました。

ちょうど同じ頃、世界経済フォーラムから33歳以下の代表「グローバルシェイパーズ」に選出され、国際会議へ参加する機会が増えました。会議には地球規模で物事を考えながら各地でビジネスや活動を実践する同世代が集い、それぞれの問題意識や実践内容、経験価値を共有します。

世界中で開催されている様々な会議に参加し、活躍する同世代と交流を持ったことで、自らの世界が拡張しました。それまで日本の、狭いコミュニティの中で、自分の知っている世界だけを生きてきた小ささを痛感したのと同時に、理想の社会を実現するためのビジネスのあり方を考えるようになりました。

新しいビジネスの形を模索するため、稲盛和夫さんが塾長を務める経営塾「盛和塾」で学び始めました。稲盛和夫さんの経営哲学を学び、「独自性・経済性・社会性」を兼ね備えた、多くの塾生の経営体験にふれたことで、自社の発展と持続可能な社会、そして将来世代の幸福がイコールのビジネスをつくれる確信が強まりました。

そこで、NPOの活動をやめ、発展すればするだけ社会が良くなるビジネスの立ち上げに力を注ぐことにしました。ライフスタイルの革新をテーマに、自社やパートナー企業と、同時に複数のサービスを立ち上げました。

人と社会と地球の未来を幸せに


現在は、「サステイナブルライフデザイン」をテーマにいくつかの事業を運営しています。その一つである「ONE BIRTHDAYS」というサービスでは、世界に一つだけしかないユニークなギフトを贈ることができます。また、社会や地球にも優しいギフトをつくることで、誕生日をサステイナブル・ライフ・デザインのきっかけにしてほしいと考えています。

例えば、エコウッドフォトというギフトは、木の板に思い出の写真をプリントして贈れるサービスですが、その木材は、国産の間伐材を使っているため、生産量が増えれば、日本の森を守ることにつながります。また、パーソナルブレンドコーヒーというギフトは、贈る相手をイメージして世界に一つのブレンドコーヒーをつくれるサービスですが、フェアトレードやオーガニックなど社会課題の解決に貢献しているコーヒー豆を中心にラインナップし、ブレンド内容を通じて、コーヒー生産国の文化や国民性なども知ることができます。


誕生日って自分の人生を改めて考える日でもあると思います。そんな大切な節目に、サステイナブルな社会を担うギフトを受け取ることで、ギフトの背景にある生産者の思いや、サステイナブルな社会に繋がる仕組みについても知り、ライフスタイルや価値観に良い変化が生まれれば素敵なことだと思います。また、自分がもらって嬉しかったギフトは、別の誰かにも贈りたいと思うものです。結果的に、贈る人、受け取る人、社会、地球に優しいギフトを贈る連鎖が生まれ、喜びとともにサステイナブルな地球の未来をみんなで創っていければ幸せなことです。

また、「ONE BIRTYDAYS」は企業の誕生日を、サステイナブル・ワーク・デザインの機会としたサービス提供も行っています。たとえば、あるアパレルメーカーでは10周年を機に、商品のタグを通じてメッセージを届け、サステイナブル・ライフの推進に貢献する「シェア・タグ」というプロジェクトを立ち上げました。誰もが手にするタグでメッセージを届け、サステイナブル・ライフ・デザインを推進するコンテンツプラットフォームを認知し、体験できる仕組を展開します。

その他にも、いくつかの企業向けに、誕生日を軸としたサステイナブル・ワーク・デザインを推進していますが、今取り組んでいる全ての企業が数年先には、よりコレクティブに繋がっていくと考えているので、これからがとても楽しみです。

今の僕の目標は、サステイナブル・ビジネスだけを集めた、新しい上場市場をつくることです。国連が定めた「SDGs」によって、2030年に向けて持続性の高い社会をどうつくっていくのかに、これからさらに関心が集まっていきますが、2030年以降の社会像はまだまだ描かれていないと考えています。いわば、今の子どもたちが大人になったときの社会のことです。

僕の持論ですが、SDGsが推進された先には、一人ひとりが持続可能な生活目標を当たり前に持っていると思います。その2030年前後に、生活者と生産者がともにサステイナブル・ライフ&ワークを創造できる、新たな上場市場をつくりたいです。売上げや利益が大きいことが優先的に評価される世界から、100年先の人類や地球にとって価値がある生活を担う商品やサービスに共感し、自然と成長発展していく世界へのパラダイムシフトを担う一人でありたいと考えています。

人類の共通の目的は、幸せに生きること。子どもの子ども、その先の100年後の世界で暮らす人が幸せであるために、これからもサステイナブル・ライフを担う事業を起こし続けます。そのために最も大事なことは、僕自身が自己変容し続けること。そして関わる人たちと共変容し続けることですね。僕たちはまだまだ進化できる。

2018.07.05

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