エンジニアとして、欲しいものは自ら作る!踏み出したから見えた世界。

「主観的には面白いと思うことを突き詰めているだけで、結果それが仕事になっているだけです」と、迷いなく今の事業に突き進んでいる松本さん。しかし、今に至るまでには、このままではまずいという大きな危機感もあったとか。そんな松本さんのお話を伺いました。
松本 哲
スタンドファーム株式会社の共同経営者。
請求の不便さを無くすためのサービスMisocaを運営する。
ゲームを作りたい
僕は京都の丹波地方という、山に囲まれた地域で生まれました。
ファミコン世代で、ゲームが好きでしたね。
またゲームに関わる本も好きで、毎月1回来る移動図書館で、
ゲームの元ネタとなっている神話や歴史の本などを借りて読んでいました。
小学生ながらH.P.ラブクラフトの『クトゥルー神話』なんかも読んでいましたね。
将来はゲームを作りたいと思っていて、そのためにはプログラミングを学ぶ必要があると、
工業高校の情報学科に進学することにしました。
高校ではひたすらプログラミングをしたり、図書館にこもったりという感じで、
何かしら簡単なアプリケーションを開発するのが好きで、
色々と作っていましたね。
また、パソコン室ではインターネット使い放題の回線があり、インターネットにもはまっていきました。
その後、大学にはあまり行く気がなかったのですが、
就職してしまうと長期休暇は取れなくなってしまうので、
とりあえず思いついたことをやるための時間的自由が欲しく、
愛知県にある4年制の大学に進学することにしました。
好きなことをやる大学時代
大学生時代は、基本的にはインドア派で本を読んだりパソコンで遊んでいることばかりでしたが、
時間があったので色々とやりたいことができました。
三国志が好きでゆかりの地を回りたいと思っていたので、中国にバックパック旅行に行ったこともありました。
三峡ダムの工事が着工される前に行かないと、ダムの底に沈んでしまう三国志名所があったので、
それを見に行きたい気持ちもあり大学に入ったんですよね。
旅は中国だけでなく、モンゴルや東南アジアの国など、1ヶ月半位周りしました。
また、国内でも北海道から名古屋まで自転車で2週間かけて回ったり、
原付で山口まで行ったりしました。
基本的にお金がなかったからその手段をとっただけで、決してアウトドア派だったわけではないですけどね。(笑)
そんな風にやりたいことばかりやっていたので、授業にはほとんど出ませんでしたが、
プログラミングなども独学でできたので、あまり苦労はしませんでした。
ただ、こんな感じで過ごしていたので、就職活動もしていなくどうしようかと考えていた時、
研究室の先生から大学のネットワークセンターでの働き口を紹介されて、就職することができたんです。
教育へのコンプレックス
そこでの仕事は、正直ゆるい仕事でした。
特に新しいことをするわけでもなく、決まりきったことをやるだけでしたね。
また、名門大学ではなかったため、どんどん応募生徒数が減っていくのは目に見えていて、
自分のキャリアとしても、働く場としてもこのままじゃダメだろうと感じていたんです。
そこでは3年働いた後、大学教授の紹介で、大学発ベンチャーである開発受託企業に転職しました。
この会社は、規模は小さいながらも下請けの開発会社ではなく、
基本的には直接クライアントが対面になり、要望のあるシステムを受託開発していく会社だったので、
よく聞く開発会社ほど劣悪な環境ではなかったですね。
ただ、自分はプログラムをする開発者であるにもかかわらず、
ちゃんとした情報科学の教育を受けたことがないことにコンプレクスを感じていました。
大学の授業には出た記憶が薄くて、
ちゃんとしたカリキュラムをこなしてない自己認識が強かったので。
自分の好きな分野は勉強してるんですけど、古典的名著とかぜんぜん押さえられてない、みたいな感じでした。
そこで、情報システムの基礎を学ぶため、東京で開催される勉強会に足を運ぶようになったんですが、ある勉強会で、
「東京は勉強会たくさんあって良いですよね、名古屋にはないんですよ」と話したら、
「ないなら作れば良いじゃない、エンジニアなんだから」と言われたんです。
この言葉を受けて、確かにそれが正論だと痛感したんですよね。
それから名古屋に戻り、自分たちで勉強会を開くようになりました。
このままじゃまずい
とはいえ、勉強会を開くにも1人では大変なので、
働いていた会社にフリーランサーとしてパートタイムで参加していた子を誘うことにしました。
彼は高専を出ていてポテンシャルは高そうなのに、
簡単なHP制作等しか仕事にしていなくくすぶっていたので、一緒にやろうと思ったんですよね。
最初は2人だけで勉強会を始め、徐々に一般の人たちにも告知して人数を増やしていきました。
その後、勉強会は4年位継続的に続けて頑張ってはいたのですが、
徐々にこのままじゃまずいんじゃないかという気持ちも沸き上がってきたんです。
僕は30代前半でしたが、
受託で開発をしているし技術も分かっているものの、自分自身で何かをやった実績がなかったんですよね。
また、パートナーの彼も、20代後半で、
学生時代の同期はすごい仕事をするようになっていたのに、彼自身はそこまで大きな仕事をできているわけではなくて。
会社自体も成長しているわけでもなく、安定の状態だったので、
今何か踏み出してやらないと、このまま低空飛行の人生で、詰んでしまうと大きな焦りがあったんです。
そこで、オリジナルのプロダクトを作ろうと決意し、自分たちの会社として2人で独立することを決めたんです。
請求の不便をなくす
最初は受託開発もしながら、イベント管理アプリを作りました。
そうやって純粋にプロダクトを作って、世に出していけば良いのかと思っていたのですが、
東京でベンチャー企業向けのイベントに行った時に、
スタートアップ企業として、世の中にサービスを広めていく方法や、資金を集めて拡大していく方法などを学んだんです。
それからは自分たちをスタートアップとして認識するようになりましたね。
その後、請求書を管理するサービス、Misocaを始めました。
このサービスは、自分たちが開発を受託してクライアントへ請求書を送るのがすごく面倒だと感じている時、
システムから郵便を送る仕組みがあることを知って始めたサービスです。
自分たち以外にも、シェアオフィスにいたフリーランスの人は使いたいと言ってくれたので、
少なくとも2人は顧客がいるからと、開発に着手したんですよね。
このサービスでは、面倒な請求書の作成から発送まで、全てWEB上でできます。
最近、請求書を送られた側がWEB上でそのままクレジットカード決済をできる仕組みも実装しました。
今後は、請求書を送った後の入金消し込みの機能なども作っていき、
請求に関わるあらゆる不便さを解消していきたいと考えています。
Misocaを始めてまだ数ヶ月の時に、
このサービスがなくなったら本当に困るから絶対に潰れないで欲しいと言ってもらえることがあり、
嬉しかったし社会への価値を感じましたね。
社会の無駄を省く
今は請求書という分野に取り組んでいますが、
個人的には今後も様々な分野で不便さをなくして、合理的に社会が回る仕組みを作り続けたいです。
元々田舎で育ったので、自分はメインストリームの中にいるのではなく、
ある意味、社会を客観的に見ているような感覚があるんです。
ゲームの『シムシティ』で、いかに町が自分で回っていくのか仕組みを考える市長みたいな気持ちですね。
だから、世界を変えようとしているたくさんの人たちが本質的なところにだけ時間を使えるよう、
無駄を省く手助けをして間接的に社会を良くできたらと思います。
僕らは「このままじゃダメだ」という考えからできた会社で、今もその感覚は持ち続けています。
ただ、自分を変えるためには小さなことでもやってみるしかないと思うので、
これからも役に立つことで、自分がやりたいと思う様々なことに挑戦していきます。
2014.09.12
松本 哲
スタンドファーム株式会社の共同経営者。
請求の不便さを無くすためのサービスMisocaを運営する。