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会いたい人には、今すぐ会いに行け。恩師の死とを経てたどり着いた、愛すべき仲間と働く「B面」という生き方

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「いいやつと、いい仕事がしたい」 僕が主宰するギルド「B-side」には、胸を張って言えることがあって。みんな「いいやつ」なんですよね。

なぜなら、ギルドという形態は、契約よりも先に“人”が来るからです。正解がない仕事、前例のない相談、グレーな意思決定。

そういう場面で最後に頼れるのは、スキルではなく「この人なら裏切らない」という感覚です。

B-sideは、安心して背中を預けられる人だけでつくられています。僕は順風満帆に見えるキャリアの裏で、僕が抱え続けてきた違和感。

そして、ある恩師の突然の死。 それらが一本の線でつながったとき、僕は「B-side(B面)」という新しい生き方を選びました。

上野 雅博

うえの まさひろ|人材系スタートアップ COO室長 / AI推進担当

早稲田大学政治経済学部を卒業後、大手人材エージェントに入社。
その後、SEOの可能性に惹かれ、アイレップ(現・Hakuhodo DY ONE)へ転職する。
電通デジタルでは、電通および電通デジタル公認の横断組織「電通グロースハックプロジェクト」を立ち上げ、スタートアップのグロース支援を担当。
2021年からは人材系スタートアップに参画し、COO室長として経営に携わるとともに、兼務出向先の関連企業にてAI推進業務を担っている。

「無敵」だった少年が知った、世界の広さ

子供の頃の僕は、自分が世界の中心にいると信じて疑わないような少年でした。

小学校では生徒会長と応援団長を兼任し、中学校では学級委員とサッカー部のキャプテン。学年テストでも上位。目立つことが大好きで、「自分にできないことはない」と本気で思っていたんです。

でも、中学のサッカー部で初めての挫折を味わいました。メンバーは上手い奴ばかりなのに、練習に来なかったり、素行が悪かったり。

キャプテンとしてチームをまとめようとしても、どうしても一体感が作れない。「人間って、こんなものか」。そんな冷めた感情を抱き、高校ではサッカーをきっぱり辞めました。

代わりにのめり込んだのが、バンド活動です。ギターに没頭し、本気で音楽の道に進んで行こうとしていました。

周りのバンドメンバーは全員プロを目指しているような環境(実際、僕以外は皆プロになりました)だったのですが僕は両親の猛反対に遭い、その道を閉ざされてしまった。

「金は出さない」と言われ、逃げるように勉強に切り替え、大学へ進学しました。

自身の価値を積み上げるための何かが欲しい。音楽を諦めた僕が次に選んだ武器は「英語」でした。

「留学経験もないのに英語ペラペラ」という伝説的な努力家の先輩(現SHOWROOMの前田裕二さん)が英語ゼミにいて、その姿に圧倒されたことも大きかった。

「お金がないからできない」は言い訳にならないと痛感し、必死でお金を貯め、フィジーへの格安留学へと旅立ちました。

このフィジー行きが、僕の人生最初の転機となります。

「大人も真面目じゃなくていい」を変えた出会い

上野雅博さん

現地で出会ったのは、フィジーの語学学校で校長をしていた鈴木康弘さんという方でした。

彼は元リクルート出身の切れ者でしたが、26歳で年収を半分以下にしてまでフィジーへ転職に渡ったという、変わった経歴の持ち主でした。

帰国後、たまたま彼も同じタイミングで退職して日本に帰国。

池袋にフィジー留学卒業生の同窓会ができる場を作りたいから手伝ってと言われ「とこなつ家(や)」というバーに立ち上げから関わりました。

当時就活生だった僕はリクルート出身の彼の話に聞き入るようになり、周りの就活生も呼ぶうちに、「とこなつ家」を就活Barとして運営するようになりました。

大学生だけではなく、彼の知人の方々も来店されるようになるのですが、そこでの出会いで僕の価値観はガラガラと音を立てて崩れました。

例えば、会社を辞めて世界一周する人や、学生起業家など、いわゆる「普通のレール」から外れた大人や学生。

「知らないだけで、自分よりすごい人は世の中に五万といる」。そして「大人はもっと自由でいいんだ」ということを、彼らが教えてくれました。

鈴木さんは僕にとって、社会人の師匠のような存在になりました。新卒で人材系企業に入社したのも、彼のアドバイスがあったからです。

「業界1位からの景色を見ないか?」

上野雅博さん

社会人になり、僕は「自分の市場価値」をどう高めるかに執着するようになりました。

人材エージェントの仕事はやりがいがありましたが、どこか“専門性”という価値の積み上げを感じづらかった。

「もっと専門性を身につけたい」と飛び込んだのが、当時SEOで最強と言われたアイレップです。

そこでの2年間は修行の日々でした。マーケティングやSEOのイロハを叩き込まれ、自信もついた頃、競合である電通デジタル(当時は合併前のネクステッジ電通)からオファーが届きます。

人材エージェント時代、僕がネクステッジ電通社へ転職支援した方からのお誘いでした。

「電通という業界1位からの景色を見たくないか?」 そんな殺し文句に心を動かされ、僕は競合への転職という「禁断の移籍」を決断しました。

僕はその後、電通デジタルではSEOだけでなく、アプリの改善やCRO(コンバージョン率最適化)など、領域を広げていきました。

社内ベンチャーのような形で電通と電通デジタルで「電通グロースハックプロジェクト」というバーチャル組織を立ち上げ、スタートアップ支援に没頭したのもこの頃です。

10年ぶりの訃報と、後悔

その後、コロナに入りスタートアップ支援中心だった我々プロジェクトは停滞。

そもそも自分自身、スタートアップで働いたことがなかったことに違和感があったこともあり、2021年には人材系スタートアップに転職しました。

転職後は順調でした。スクラムプロダクトオーナーやグループマネージャーなど、大きな裁量を持って働くようになりました。

しかし、2022年のある日。僕の元に届いた知らせが、価値観を変えました。

あのフィジーで出会った恩師、鈴木さんが亡くなったのです。バイク事故でした。まだ若い、突然の死でした。

最後に会ってから、もう8年も経っていました。

「いつかまた会えるだろう」。そんな甘い考えで、日々の忙しさにかまけていた自分を殴りたいような気持ちでした。僕「会いたい人には、今すぐ会いに行かなきゃいけない」 「やりたいことは、今すぐやらなきゃいけない」という思いはそこから、心のどこかにいつも浮いていました。

安定した給与をもらいつつも、1社に居続けることに対して、どこか窮屈さを感じている自分。人生は、いつ終わるかわからない。

だったら、会社の看板なんて関係なく、心から信頼できる「いいやつ」たちと、面白い仕事をすべきなんじゃないか。

その想いに背中を押されてできたのがのが、会社の垣根を超えた副業集団、副業ギルド「B-Side」です。

レコードの「B面」を生きる

「B-side」という名前には、レコードの「B面」という意味を込めました。 本業(A面)をおろそかにするわけではありません。

A面で必死に戦い、成果を出しているからこそ、その知見がB面(副業)で生きる。そしてB面で得た自由な発想や経験が、またA面を輝かせる。

電通、博報堂、Google…有名コンサル企業から事業会社に転職した副業社員ギルド『B-side』が変える、企業と個人の「接続」の形

ここには、面接も書類選考もありません。いるのは、僕がこれまでのキャリアで出会ってきた、「こいつとなら背中を預けられる」と確信できる仲間だけ。

優秀なフルスタックエンジニアや、博報堂出身のマーケター、Google出身の広告ストラテジストなど、職能はバラバラですが、共通しているのは元々コンサルサイドにいた人間が、今「現役のインハウス(事業会社)」で戦っていること、そして何より「いいやつ」であることです。

僕たちは、企業から「丸投げ」された仕事をこなすだけの集団ではありません。時間の切り売り部隊でもありません。

「どうすれば事業が伸びるか」「そもそも何をすべきか」という上流から入り込み、企業の悩める担当者と一緒になって汗をかく。

かつて僕が、フィジーのバーで恩師や仲間たちと語り合ったように、肩書きのない人間同士として向き合い、価値を生み出していく。

「副業」というと、お小遣い稼ぎのように聞こえるかもしれません。でも僕にとっては、自分の人生を取り戻すための、大切な「居場所」作りなんです。

会社に依存せず、会社を捨てず

今、大手企業で働いている人の中には、「このままでいいのか」という漠然とした不安を抱えている人が多いのではないでしょうか。 かつての僕もそうでした。でも、会社を辞めることだけが正解ではありません。

会社に軸足を置きながら、一歩外へ踏み出してみる。自分の名前だけで勝負してみる。 そうすると、不思議と本業の景色も違って見えてきます。

「会社の看板があったからできていたこと」と「自分自身の力でできること」の境界線が見えてくるからです。

僕はこれからも、A面とB面を行き来しながら生きていきます。

会いたい人に会い、働きたい仲間と働き、面白いことを仕掛けていく。 それが、天国の恩師に胸を張れる、僕なりの生き方だと思うから。

上野雅博さん