子供に誇れる背中を見せたい。トップシェア企業を率いる2代目が選んだ「全員経営」への道
31歳のとき、父の病をきっかけに突然セムコ株式会社の社長となりました。国内シェア8割を誇る船舶用液面計メーカーを受け継ぐも、社内で孤立し、会社を辞める寸前まで追い詰められたこともあります。そんな私が、どう希望を選び直し「全員経営」という道にたどり着いたのかをお話しします。
宗田謙一朗
1985年創業のセムコ株式会社を父から継承。船舶用液面計で国内トップシェアを誇る。経営危機の経験をもとに「全員経営」を掲げ、2018年に新ビジョンを策定。DXやIoTを取り入れた新規分野拡大にも挑む。2023年にコーチング事業を法人化し、組織開発支援を展開している。
父の背中と神戸の山に囲まれて育った日々
私が生まれ育ったのは、神戸市の郊外。山に囲まれ、自然と遊ぶのが日常の環境でした。野山に分け入り虫を捕まえたり、空き地で野球をしたり。好奇心のままに身体を動かすことが好きな子どもでした。
そんな日々に変化が訪れたのは、私が11歳のときです。父が外資系のエンジニアを辞め、突然起業したのです。母でさえ寝耳に水の出来事で、退職金を元手に生活も決して楽ではありませんでした。それでも、台所で流量計の試作品を作る父は本当に楽しそうでした。その背中は「大人が夢中になれる仕事がある」と気づかせてくれた原風景になっています。
ここから私の人生には「モノづくり」と「人と向き合う」という二つの軸が芽生えていきました。
教師を夢見た学生時代と、父の病
中学高校時代の私は、曲がったことが嫌いで、時に不良グループにも堂々と注意をするような性格でした。野球にも全力を注ぎ、勉強でも負けず嫌いを発揮していました。高校は兵庫県立長田高校に進学。進学校の同級生は驚くほど優秀で、悔しさや挫折も味わいましたが、それでも最後の夏はレギュラーとしてグラウンドに立つことができました。
その頃の夢は教師になること。信州大学教育学部に進み、教育実習では生徒と接する喜びを味わいました。しかし同時に、「もっと広い世界を見てみたい」という気持ちも湧いていました。
そんな折、父が小脳変性症を発症しました。(発症は私が中学3年生から高校1年くらいの時に発症していました)病状は次第に重くなり、私が卒業する頃には「会社に戻ってほしい」と頼まれるようになりました。教師への道を進むことから方向転換して、経営という新しいことが学べるとワクワクした気持ちで父の会社に入ることを決断したのです。 教師を夢見た日々から一転して、私は中小企業の現場に飛び込むことになりました。
社長就任、孤立と絶望
入社後は製造現場に入り、液面計の組み立てや修理、そしてお客様のプロジェクトの進行状況まで徹底的に学びました。船に乗り込み、夜通しで修理をしたこともあります。現場で汗をかきながら、お客様から「ありがとう」と言われたときに感じる充実感は、何にも代えがたいものでした。
しかし、31歳のときに父が病で会社に来られなくなり、私が代表取締役に就任すると、状況は一変しました。自信がないからこそ「社長は弱みを見せてはいけない」と思い込み、肩肘を張っていたのだと思います。自分の考えを一方的に押し通そうとし、社員の声を十分に聞けないまま、社内の空気を悪くしてしまいました。
気づけば、誰にも相談できずに孤立していました。周囲との関係もぎくしゃくし、「このままでは会社を潰してしまうかもしれない」という不安が日々募っていきました。夜遅くまで残業をしても、心はどんどん追い詰められていく。そんなとき、ふと「もう辞めてしまおうか」という考えが頭をよぎりました。
妻に打ち明けると、「収入が減ってもいい。あなたが笑顔でいてくれる方がいい」と静かに言ってくれました。家族の支えがありながらも、当時の私は限界寸前でした。
そんなある夜、帰宅途中の赤信号で車を停めたとき、胸の奥から声が聞こえました。「この背中を3歳の息子に見せていいのか」。逃げの人生を歩ませてはいけない。子どもに誇れる背中を見せたい。そう思った瞬間、涙が溢れました。
あのとき初めて、「会社を変えるには自分が変わらなければならない」と本気で悟りました。
感謝を知り、「衆知経営」へ
そこから私は経営者としての自分を一から見つめ直しました。経営塾に入り、発表会で「感謝が足りない」「理念が見えない」と厳しく指摘されたことが、私を根底から揺さぶりました。胸に突き刺さる言葉でしたが、同時に「ここから変われる」という希望でもありました。
社内でフィロソフィー輪読会を始めると、ある社員が「稲盛さんの話ではなく、社長自身の考えを聞きたい」と言いました。その一言に背中を押され、自分の言葉で会社の未来を語るようになりました。
2018年、「チームワーク」と「イノベーション」を掲げた新しいビジョンを策定。そこには、松下幸之助さんが提唱した「衆知経営」の考え方を重ねています。衆知経営とは、一人のリーダーが独断で判断するのではなく、社員や現場の知恵を集めて最善の道を探る経営のあり方です。私はこれを“全員経営”の中心に据え、社員全員が知恵と経験を出し合いながら会社を動かす仕組みへと変えていきました。
社内では勉強会や技術発表が日常的に開かれるようになり、社員が「自分たちの会社をもっと良くしたい」と口にするようになりました。孤立していたかつての私が、一人では決してたどり着けなかった世界です。
そして、こうして得た気づきを自分の中だけで終わらせてはいけないと考えました。人と人が互いの知恵を持ち寄り、チームとして高め合う「衆知経営」を、他の企業にも広げたい。そんな思いが、後に私が始めたチームコーチング事業へとつながっていきました。
コーチングと「衆知経営」で人が変わる瞬間に立ち会う
この経験(自社での成功事例)は「人が変わる瞬間は組織を変える力になる」と教えてくれました。そこで私は自らも学びを深め、2018年頃からコーチングを体系的に学び始めました。その過程で出会ったのが松下幸之助さんの「衆知経営」という考え方です。
衆知経営とは、一人のリーダーが独断で道を決めるのではなく、社員や現場の声を集め、全員の知恵を生かして経営を進めるという思想です。これはまさに私が目指していた「全員経営」と重なるものでした。会社を変えるには、自分ひとりの力ではなく、仲間の経験や気づきを引き出すことが不可欠。その確信を与えてくれたのが衆知経営でした。
この思想を胸に、私は2023年にコーチング事業を法人化しました。ある企業で13人が参加したチームコーチングを担当したときのことです。最初は「問題の原因はお客さんにある」「上司が悪い」と責任を外に押し付けていたメンバーが、「現状を作ったのは自分たちだ」と一致して気づいた瞬間、全員の表情が一変しました。衆知を集めることで初めて本質的な課題が見え、解決への道筋が生まれたのです。
私はその光景に涙がこぼれました。人が変わる姿は本当に美しい。そして社員の知恵を引き出すことができたとき、組織は真に強くなる。その瞬間に立ち会えることが、今の私にとって最大の喜びです。
DX・IoTで新しい分野へ挑む
もちろん、セムコ本体も変わり続けています。液面計メーカーという枠に安住せず、DXやIoTを活用した新たな分野の拡大にも取り組んでいます。
例えば、船員がタンクの液面を実測して、船員が手計算でいろんな要素を掛け合わせた複雑な容量計算を行っていたものを自動で計算するソフトウェアを開発しました。これによりただ単なる容量計算だけでなく、燃料供給がいつ完了するのかといった時間の算出も瞬時に行うことができるようになります。これにより船員の方の労働環境の改善が実現します。
またタンクの計測データをIoTで自動収集し、クラウド上で解析する仕組みも構築しました。このサービスは主に海運関係ではなく陸上のお客様でご利用いただいているもので、リアルタイムでタンク内液体の残量を把握できるだけでなく、液面以外の温度や圧力などの計測にも利用されています。これにより今まで人が行っていたことが効率化され、働く方の環境改善に繋げることに役立っています。そしていずれこういった技術が海運業界でもお役に立てることと思っております。
顧客の課題から製品やサービスを生み出す姿勢は、創業時から受け継ぐDNAです。液面計メーカーから「計測エンジニアリングメーカー」へ。これが私たちの新しい姿です。
競争から共創へ。未来への挑戦
釜山支店の開設や外国籍社員の採用も進み、社内のコミュニケーションは英語と日本語が入り混じるようになりました。日本郵船との共同開発や特許取得も実現し、大手との協業も進んでいます。
私は思います。これからの時代は競争ではなく共創です。中小企業がそれぞれの強みを持ち寄り協力し合えば、Made in Japanは再び世界で輝ける。
そして、苦しみの中で掴んだ答えを胸に刻んでいます。逃げずに希望を選び、自分が光となって道を照らしていきたい。その背中を次の世代に見せることが、私の使命です。
宗田謙一朗
1985年創業のセムコ株式会社を父から継承。船舶用液面計で国内トップシェアを誇る。経営危機の経験をもとに「全員経営」を掲げ、2018年に新ビジョンを策定。DXやIoTを取り入れた新規分野拡大にも挑む。2023年にコーチング事業を法人化し、組織開発支援を展開している。